サマリー画廊の楽しみ方ーーなんで画廊に足を運ぶのか【アート・エッセイ】52〜55
第52回
画廊には、さまざまな商売の戦略があります。
市場に大々的に参加するところや、若手を中心にしたところもあります。
作家は、音楽バンドのように、アマチュアから、インディーズ、そして、メジャーデビューするように、成長にともなう評価の上昇とともに活動の場が変わっていきます。
ライブハウスや飲食店の生演奏の時期から、大きなコンサート会場というように。
美術のアーティストも、そのような傾向があります。人によっては、はじめに世話になったライブハウスにいつまでも顔をだすバンドがあるように、小さな画廊との付き合いを続ける方もいます。おうおうにして、成長とともに、別の場所に移るものです。
幾つかの画廊とある期間付き合っていると、アーティストの行き交いのようなものも、知ることができます。
人間模様のような何かとの触れ合いも興味尽きぬものです。
第53回
最近は、美術館の特別展などからは、足が遠のいて、小さな画廊まわりばかりです。
コロナで、予約制になったり、忙しかったりしたせいでもあります。
大芸術家の特別展では、彼らの人生が、物語のように語られ、作品もその証拠のようにならべられています。
見るものが期待するような語りが、期待されるように語られているようです。
形として学ぶには大切なことだとは思うのですし、大切な事実なんでしょうけれど、そこで語られないものをつい、探りたくなってしまいます。
第54回
53回では、語られないもの、と謎かけみたいな書き方をしましたが、後世に残された作家の作品は、彼らの人生の結果であります。
きっとその作品が出来上がるまでに、幾つもの修正や、やり直しがあったと思います。また、山のような失敗作もあったはずです。
スランプや人間関係のトラブル、生活の問題と、僕らと同じように様々な問題に見舞われてもいたでしょうし、作品が素晴らしいと言っても、人間性がひどい人もいたでしょう(ある意味、狂気を抱えているからこそ、人を驚嘆させる作品を作れるのかもしれません)。
そういうものがあるんだと少しは含みおきたいということです。
時代や環境が違うとはいえ、同じ人間ですから、どこか通じ合える部分はあると思います。だから、表現の道を歩んでいる現代の作家の活動する姿の中にも、美術史の天才達に通じる部分を見出せるとも思います。
そういうふうに考えると、作品と共に作家に会える機会を大切にしたいと考えています。
小画廊や個人の営みを飾る装飾の中に、今まさに紡がれている美術史の手ざわりもあるようにも思えています。
第55回
足繁く小さな画廊に行くと、思わぬ出会いがあります。ひととしての作家、制作ジャンルなど、驚愕したり、シンパシーを抱いたり、知らない分野と出会ったり、気がつかなかったジャンルの意味を見つけたりします。
美術の制作は、新しい方法への挑戦でもあります。美術評論には、その人の制作過程をもとにした説明を付け加えることも多いので、技法を簡単に調べたりもします。
へー、こんなやり方するんだ、、、と思ったりします。少しずつ、美術技術史のようなものに近づいているのでしょう。
これから、ジャンルや技法について、話を加えていきましょうか。