サマリー画廊の楽しみ方ーーなんで画廊に足を運ぶのか【アート・エッセイ】61〜65
第61回
版画での出会いですが、木版画の方とも多く知り合いになりました。
金巻芳俊さんの個展で、出会ったのが、西山瑠衣さんです。
彼女は、丁度、三件の銀座の画廊で展示をされていました。それから、グループ展や選抜展などで、彼女を尋ねたとき、新しい出会いがあり、そこから木版画家との交わりが増えました。
ある意味、起点となった方です。
もうひとりが、濵田路子さんです。
彼女は、性格なのか、不思議とひとの結びつきを呼び寄せる方のような気がします。
ふたりが参加した小杉画廊のPRESSの企画も面白かったですし、版画教室などの展開にも結びついてもいます。
作品だけでない、リアルなひととひとの結びつきも興味は尽きないものです。
第62回
木版画は、学校の美術で取り上げられやすい手法ですが、黒のインクのモノトーンがみな記憶にあるでしょう。
浮世絵ではないですが、一枚の版木をもとに、何色も重ねる多色刷りもあります。むしろ、それが多いともいえます。
ついつい、ふーん、版画かと、通り過ぎてしまいやすいのですが、さまざまな色をいかに配置し、重ねるか、独自の作業形態があります。
塩田裕二郎さんの熟練の技には、感服しました。
色彩のコラグラフともいえるかもしれません。
第63回
版画の手法のひとつにコラグラフというのがあります。版の制作に彫って段差をつくるのでなく、紙や木切れなどを貼り付けて版をつくる手法のようです。
ようですと書くとかなりあいまいですが、定義がよくわかりません。
ただ、プリント・刷る、貼り付ける、そういう形で作品を製作する、そういうことかと思いますが、僕にはコラージュとの境界がわかりにくいです。
コラグラフという言葉に触れるキッカケになった大石照美さんの作品への評論をあげておきます。
第64回
コラージュは、写真や印刷物を貼り付けて絵をつくる手法はですが、版画の手法で作成したパーツを、キャンパスなど支持体に貼り付けて画像を製作するアーティストもいます。
ふたり例を挙げますが、北嶋さんは、プレートに油絵具をベースにしたインクをプレスして剥がしてパーツをつくりキャンパスに貼り付けます。
その立体感は、どこか建築物をフンワリと思わせます。
内藤遥子さんは、さまざまなやり方でプリントしたものを貼り付けて画像を製作します。
思いがけない組み合わせが、概念の高低をみちびきます。それは、日本語の論理的文体のようでもあり、いくつかの色彩で、アクセントを与えた古い地図のようでもあります。
プリントされたパーツのコラージュは、軽重、濃淡の段差が強調され、貼り絵、ちぎり絵とはことなる深みがあらわれます。
第65回
版画の繋がりで、続けています。メゾチント、木版画、コラグラフ、コラージュと続けてきましたが、エッチング、銅版画です。銅版を針のようなもので削って腐食させる凹版のエッチングは、シャープな線が特徴で、ボンヤリとした味わいのメゾチントとも、凸面との段差がつくる荒いグラデーションね木版とも違いキリッとした感じが特徴的です。
清水佳奈さんは、ドローイングもされますが、向こうの世界から訴えてくるなにか、物質感を超えたイデアの現出をエッジの効いたモノトーンで現しています。
久後育大さんの木版画は、降りしきる雨や簾のような縦の線が特徴です。
これは、帳や境界、時間経過を出しているのでしょうが、もしかしたら、銅版画、エッチングの考え方のスピンオフ、もしくはパロディの要素もあるのかもと思いました。
感想のコラボが、思考のコラージュをあらわしているのかもしれません。視点を変えて表現することは、新しい出会いを導いてもくれるのでしょう。
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