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表現再考:本朝七十二候、暦について

 大陸では、暦というのは、権力者が管理するものでしたから、農作業の暦をベースにした指導も、そのラインに応じて、下に向かって伝えたかもしれません。
 アメリカ独立前後の、ベンジャミン・フランクリンの「貧しいリチャードの暦 Poor Richard's Almanack」も同じような意図もあったかもしれません。 

 暦というのは、生活のための道具であるとともに統治の道具でもありました。七十二候というのは、農業、生活に役立つ薬草の採取などとも結びつく感じがあります。

 つまり国という大きな集団の知性と庶民の生活感覚を結びつけるものでした。宣明暦、中国の七十二候の表現にはその傾向があると思います。

 これが本邦に渡るとどうでしょうか?七十二候の表現が、農に携わる人々の一人ひとりに至っていたのか、そのように考えることは難しいように思います。八十八夜や二百十日のような表現がより印象的です。
 四季、いくつかの二十四節気はそうでしょうが、この国では、むしろ、神社と結びついて仏教の祭事の方が、季節の区切りを示していたかもしれません。

 本朝の七十二候は、生活指導の暦というよりも、文学的な表現に重きが置かれている、歳時記的な印象が強いです。豊かさや余裕のような幅が生まれてこその表現に思えるところもあります。

 本朝における暦の系譜というもの、そして、集団における知性とは何か、改めて考えるべきことかもしれません。
 


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