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誰もが未来のためにできること
こんにちは!今日のnoteは澤サロンnoteもくもく会9月のテーマ「 #未来のためにできること 」について書いていきます。いつもながらに、自分では思いつかないテーマを与えてくださるもくもく会に今回も感謝✨
今回のテーマは未来のためにできること。いいテーマですね!未来と聞いてどこかワクワクするテーマです。
皆さんは「未来」、そして「未来のためにできること」というテーマを聞いてどんなことを想像されるでしょうか?
私はこのテーマを聞いた時、まず最初に思い浮かんだのは、どこか壮大なことでした。
未来の地球を守るために二酸化炭素の排出量を抑えよう。
誰もが幸せに暮らせる社会を作ろう。そのために戦争や争いをなくそう。
日本の社会がより良くなるために、次の世代を育てていこう。
すべて心から実現したいことではあるのですが、なんでしょう、自分ごと化するには少し話が大きすぎるというか。。。
もちろん、これらについても、ちょっとしたところからできることってあるとは思うんですよ。でもその活動って人それぞれだし、必ずしも行動できる人ばかりではないのもまた確か。
だとすれば、誰もができる事ってなんだろう?って考えたんですよね。
誰もが未来にとってできること_。
今日はそんなところから深堀りして書いてみたいと思います。
自分が今やっていることから着想を得る
「未来のためにできること」と言われると、今はできていないけれども、今後を見据えるともっとやってった方がいいよね?と感じるものが最初に思い浮かぶのではないでしょうか?しかし、人はそんなに簡単に行動を変えられない、変われないような気がします。
だとすれば、今の自分にもっと目を向けて、自分が無意識的にやっていることの中から、それを意識的に変えていくだけでもだいぶ違うんじゃないのかな?って思ったんです。
無意識的にやっていること。私の例をちょっとだけ考えてみたいと思います。たとえば、、、
朝起きて歯をみがく
家族や同僚と「おはよう」などの挨拶をする
スマホで毎日の株価をチェックする
日常をちょっと考えてみただけでも、案外いろんな行動を無意識にやっているなと思いました。
でもよく考えてみたら、実はこれらって、自分にとっては未来のためにやってることの1つだったりもするんですよね。
歯を磨く = 未来の自分の歯を守る
挨拶 = 近しい人と良好な関係を維持する
株価チェック = 未来の資産のマネジメント
つまり、すべては自分自身の未来のためにやっている行動なんだなと。そう考えると、すべての自分自身の行動は、ひいては未来のためにやっていることなんじゃないかな?と考えました。
ゴッホが世界的に有名な画家になった理由
話は変わるのですが、直近のCOTEN Radioで、ゴッホの一生に関するエピソードが放送されていたんですね。
注)この先ネタばれがありますので、ご注意ください!
実はゴッホ本人が生存していた時点では、彼の絵はほとんど売れなかったんです。(少なくとも生計を立てられるほどではなかった。一生を終えるまでずっと他人の支援で生きていた人だったようです。)彼が世界的な有名画家となり、絵画が高額で取引されるようになったのは実は彼の死んだ後のこと。
じゃあ、その彼を有名画家に押し上げたものは何だったのか?
もちろん作品そのものというのもありますが、実は作品に付随し、彼が彼の弟とやりとりをした「手紙」があったからだと言われています。
(すみません、表現が正しくないかもしれないので、その点は是非エピソードでご確認ください!)
作品が残るだけだと、作者がどんな想いで、どんな心境からその絵を描いたかって想像の域を超えないですが、ここに手紙による当時の心境が加わることによって、より臨場感を持って絵に魂が灯るわけです。
つまり「手紙」は、彼の絵を世界的に有名なものにした最後の触媒だったのかもしれません。
誰もがもつ作品とは何か?
話が飛んでしまいましたが、じゃあ私たち現代人が持つ作品ってなんだろう?って考えてみたんですね。
私たちは有名な画家じゃないし作家でもない。無意識にそう感じちゃうと思うんですが、立ち止まってここに意識を傾けてみると、いやいや案外現代人って、みんなある意味画家だし作家なんじゃないの?ってふと思ったんですよね。
どういうことか?
皆さんスマホ、お持ちですよね?(持ってない人いたらすみません🙇)スマホ持ってたら写真撮るじゃないですか?あれも意味合い的には自分らしい作品の1つなんじゃないかな?と。
「いえいえ、そんな人に見せられるようなものじゃないですよ!」といった声もありそうですが、でも撮り溜めてますよね?写真。将来いつかどこかで見返すために。
スマホの中の写真って、実は誰もが持つ、その人が見てきた世界の切り抜きなんじゃないかな?って思うんです。
どこに行き、誰と過ごし、何をしたか。
そこには必ず写真を撮りたくなったその人らしいナラティブがあるはず。それって十分に意義あることだなと。
その一連の写真の束は、一人一人の生きた証。でも、これこそが私たちの家族だったり、親友だったり、さらには私たちが直接会うことのない未来の誰か(200年後、300年後を生きる皆さんの子孫など)に届けられる贈り物になりうるんじゃないだろうか?そんなふうに思ったんですよね。
さらにテキストや音声などの情報が加わると、ストーリーはより立体感を持つようになる。そういった、今は私たちにとってはガラクタかもしれない情報が、未来を生きる誰かの何かのヒントになるのかもしれないな。そんなことを感じた瞬間でした。
自分が生きた証を残すこと。
これこそが、私たち誰もができる未来のためにできることなんじゃないかな?と。
写真、テキスト、音声、動画。
何だっていい、不恰好だっていい、スマホの中だけだっていい。
少しだけでもそんな想いを"そこ"に向けて、写真、文章、メモや記録をとり続けていきたいなと思いました。
私にとってはこのnoteもまさにそんな媒体のひとつ。
今後のnote発信も、より一層"未来のためにできること"を意識して、書き綴っていきたいと思います。
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。