転職したこの1年を振り返る
今日はこのテーマで書いてみようと思う。
過去最も暑かったとされる夏を過ぎ、ひときわ美しく紅葉した秋が終わり、季節はすっかり冬になった12月の東京。
思い返せば1年前、あの日あの時、私はこの怒涛となる2022年の扉に自ら手を伸ばしたのだろう。
2021年12月某日23時、私はオンラインで最後の採用面接に臨んだ。相手はUKに住む面接官。30分のミーティングは、お互いの意思確認のために行われた、言い換えるなら、メインディッシュが終わったコース料理の最後に出るデザートのようなもの。
その日から約2ヶ月、2022年2月某日、私は新たな職場で再スタートを切った。
それから約10ヶ月。あまりにも多くの出来事があり過ぎて、書き切ることができない。気がつけば2022年も終わりを迎えようとしている、そんな状況だ。
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2022年は、世界的に見ても非常に変化が激しかった年の1つに数えられるだろう。ロシアのウクライナ侵攻に始まり、原材料の価格高騰、米国での金利引き上げに伴う急激な円安と物価上昇、先に述べた灼熱の夏、コロナ感染の日常化と国境制限緩和。これだけ枚挙にいとまがなかった年など他にそうそうないだろう。
世界的に見ても、また個人から見ても、2022年はmemorableな1年だったのは言うまでもない。
今日のnoteでは、そんな私自身の2022年を振り返り、ここから明日の自分に向かうためのヒントを探ってみたいと思う。
職場、立場、職務の変化が与えてくれたもの
転職は、その人の人生を、大きく変える。
分かりきっていたことではあったけれど、改めてそう感じた1年だった。職場だけでなく、立場や職務も大きく変化した。約10年ぶりに部下を持つポジションに就いた。職務面でも、実務担当からリージョン、グローバルと所属部署の日本代表として調整する役割に変わった。メンタリング、コーチング、ネゴシエーション、コンサルテーション。そんなまだまだ経験の少なかったものが、日々の実務の中心となった。
慣れない部下とのweekly ワン・オン・ワン。日々の英語でのemailや会議でのコミュニケーション。そして、ポジションからくる決断・意見に対する影響度の大きさ。ためらい・不安定さを感じつつも、暗中模索しやってきたこの1年であった。
成長なんて綺麗な言葉で語れるようなものではなく、子供がプールでバタ足を覚えるようなものだった。必死にもがき、それでもなんとか身体を水面に浮上させる。ゆっくりながらも、不格好ながらも前に進んできた感じだろうか。美しいフォームでスイスイと泳げるようになるには、まだ相当時間がかかりそうだ。
それでも、このフィールドに自ら身を投じれたことに、私は自分を誇らしく感じる。ストレートフラッシュを狙うには、一度揃った1ペアあるいは2ペアのカードに別れを告げなければならないのだ。
転職して変わるもの、変わらないもの
転職は多くを変化させる。
一緒に時間を過ごす人(仕事仲間)、仕事を届ける対象(顧客)、それを支える仕組み(仕事のツール)。
すべてとまでは言えないが、大なり小なり多くのものは変化する。環境変化は避けられない、必ず通る道なのだ。
引っ張られるように、生活でのリズムや習慣も変化した。
プライベートで続けていた毎日のオンライン英会話レッスンは、多忙と実践機会増加による恩恵で、頻度を極端に下げることにした。Voicyも明らかに聴かない時間を増やした。本については残念であるが、読書量・ペース共に大幅に落ちた。ランチによく参加していた、オンラインイベントにもほとんど参加しなくなった。
転職はこうして、これまでの自分を育ててくれた習慣にさえも影響を与えることとなった。
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しかし、そんな中でも変わらなかったものもあった。
朝のジョギング。オンラインヨガ。家族との夕食。
どれも身近にある、私が最も大切にしている時間の数々だ。
仕事がどんなに忙しくなろうとも、どんなに私生活が仕事で侵食されようとも、これだけは何があっても守りたいと思えるものばかりだ。
これに気づけたのは、ある意味、転職の賜物だったのかもしれない。
転職という決断について、今思うこと
転職を成功、失敗で語ろうとする人がいるが、果たして、そもそもそんなものがあるのだろうか?
すべては成功ともみれるだろうし、失敗でもあるとみれるのではないだろうか?つまりすべては、自身の捉え方次第なのだろう。
ネガティブにあえて捉えるならば、もしあの時、会社を辞めずにその時に関わっていたプロジェクトマネジメントを続けていたら、大成功を納め、大きな経験と賞賛を得ていたかもしれない。あるいはそして、チャレンジングなポジションにプロモートされていたかもしれない。
未来は誰にもわからない。たらればはどんな物事にも存在する。
だからこそ、私は大切にしたいのだ。自らが選びとった決断を。
大きな組織、安定した基盤、交友関係、プレゼンテーションの機会。今の私にとって、確かに無くしたものは多い。でも、そのことを私は一切後悔したくはないのだ。いや、確かにこれらの存在は、私の目の前からは実質的に消え去ってしまったのだけれど、実はいつでも、すぐそばに、心の道標として残っているようにも思うのだ。
だから一切の後悔はない。いや、むしろあるのは、誇りのみだ。
その日が来るまで、生きろ
やっぱりミスチルは沁みる。
今の自分にできること、それは、追いかけること、問いかけること、これだけだ。これをただひたすらに必死に実行し続けるしかない。
この歌の歌詞のように、そしてメロディーのように、強く、誇り高く、全力で、そう2023年も生きていこうじゃないか。
2022年、得たこと以上に失ったものは多かったのかもしれない。だがしかし、きっとその経験は、未来を作るんだって、そう信じて2023年も頑張ろう。
思い切り笑える、未来のいつか、その日まで。