才能占技から見る坂本龍一氏
先日、坂本龍一氏がお亡くなりになりましたね。
晩年は左巻きの言動が多くなり、「一体どうしちゃったの?」と思うことも多々ありました。
特に原発反対の主張で、「たかが電気のために…」と、のたまった時には、さすがに「どの口が言う!」と関西風に突っ込んだものです。
とは言え、私は坂本氏の曲は好きだったし、素晴らしい才能を持った作曲家だと今でも思っています。
それなのに命式を調べたことがなかったので、初めて見てみました。
命式をみて、才能を余すことなく活かし切った人生だったのだなぁと感じました。
算命学には職業の適性を見る方法として、適職占技と才能占技という2つの占技があります。どんな職業についたら宿命を活かせるかという内容なのですが、微妙に中身というか見るアングルが違い、鑑定方法も当然違うのですが、適職で見ても、才能で見ても、これほど完璧な道を歩めた人というのは少ないだろうと思いました。
適職占技で見る
まず、適職占技で見る時、お金になる仕事は東の調舒星。
調舒星は、
①芸能など個性を伝えるもの
②芸術など作品を通しての自己主張
③自己の考えを個人に伝達・教授する仕事
④コーディネーター(プロデュースや編集者も含む)
⑤音楽など音に関する仕事(音響技術者も含む)
坂本氏が人生で行った活動を見ると、すべての項目に当てはまっていますね。
②⑤が顕著ですが、④のプロデュースもされていましたし、①は俳優として映画にも出演してますし、お笑い番組に突然出演して驚かせたこともありました。
また、藝大で客員教授も務めていたことから、③も消化されてますね。
続いて、精神が満足する南の星で見てみましょう。
玉堂星の適職は、
①教育
②アドバイザー・コンサルタントなど
③学問の世界
④伝統に培われている仕事
⑤芸術
これもほぼ当てはまっていますね。
口述しますが、やはり坂本氏の成功は、実家が太く、なおかつ文化的で、きちんとした教育を受けられたことがやはり大きい。
同じ生年月日に生まれても、芸術や学問に無縁の家に育つと、このような人生にはなり得ないと思います。
私が中学の頃に読んだ音楽雑誌に、確か彼が13歳の時には、個人教授をつけて作曲を学んでいたと書いてありました。
そんなこと出来る家って、滅多にないですよ。
そのおかげか、高校卒業後は東京芸術大学に無事合格します。
音楽エリート街道まっしぐらですね。
才能占技で見る
詳しい説明はしませんが、坂本氏の命式には縦線にも横線にも精神の星があります。
このような命式を北天運と呼びます。北天運を平たく言うと、頭を使った仕事が向いてる人です。
北天運の人にとって、世の中に認められる星の第1位が、調舒星と玉堂星です。
坂本氏には両方ありますね。これってめちゃくちゃラッキーです。
また、世の中云々ではなく、本人にとって一番才能を発揮できる星は調舒星と司禄星で、次点が玉堂星です。
点数を出してみると、調舒星3点、司禄星3点、玉堂星2点です。(坂本氏の場合です)
司禄星も3点と高いのですが、残念ながら世に認められるかという基準から見ると、第3位なので、あまり活かせません。
その点、調舒星は、本人的にも一番才能あるし、世の中にも認められやすいというスーパー才能星となります。
では、北天運の調舒星を生かす仕事は何かというと、『感受性の才能を発揮する仕事』です。
作曲家は感受性の塊です。
特に坂本氏のように映画音楽なども手掛ける時には、音に対する感受性だけでなく、映画監督の頭の中の世界観を汲み取る高度な感受性が必要です。
私が坂本龍一を好きになったきっかけは、映画『ラストエンペラー』ですが、もう見事としか言いようがなかった。
清朝最後の皇帝の数奇な運命を表現する、哀愁漂う胡弓のイントロ。そして中国の長い歴史に相応しい重厚なオーケストラの演奏。
もう、あの曲意外に、この映画のテーマ曲はあり得ないと思わせるものでした。
そしてこの映画でアカデミー賞を受賞して、「世界のサカモト」になりました。
忘れてはならない玉堂星
もう一つ、坂本氏の人生の重要な要素に玉堂星があります。
なにせ、縦線全て玉堂星ですからね。
これは極めて学問的なアプローチで音楽制作に携わっていたことを示唆します。
まず、幼い頃から音楽の英才教育を施されていましたし、東京芸術大学卒というのも大きいです。日本における芸術の最高学府ですからね。
また、民族音楽にも造詣が深く、沖縄の人気バンド、ネーネーズと組んで琉球民謡を取り入れた曲も作りました。
私はそれがきっかけで琉球民謡が好きになり、三線も習いましたし、ネーネーズのライブにも行きました。
楽しかったですよ、世界が広がる感じがいました。
3つの幸運が重なった人生
学問的な音楽の基礎が築けたこと、生まれ持った本人の才能、それを活かせる環境に生まれた幸運が重なって、宿命を見事に消化された人生だったのではないでしょうか。
教授、お疲れさまでした!