
近未来の幸せ検定装置
文化が発展した社会に蔓延る伝染病がある。この病気は目に見えないうえ、感染しても多くの人がそのことを口に出さないし、むしろ何でもないふうを装うからタチが悪い。その病気の名前は「劣等感」。
隣の芝は青く見える。競争社会では他の人が何かと優れて見え、自分が劣っていると感じる。何とかして他人より優れていたいから見栄を張る。拗らせると決して幸福になれない酷い病気だ。
だれもかれも背伸びをして、他人とつきあっていた。自分が背伸びをしていて、みなとやっと同等になれる。
これは星新一さんの短編集「宇宙のあいさつ」に入っている「治療」と言う話の始まり。
ある男がこの病気の治療法を編み出した。劣等感を取り除くには、自分が平均より優れていると分からせれば良いのだと。男は研究を重ねデーターを取り、あらゆる面での平均値を揃えた電子頭脳AIを作った。いわゆる「幸せ検定装置」だ。悩める人々にこの電子頭脳と面会させる。やり取りする中でその人が「電子頭脳は大したことない」と感じれば、その人はつまり平均より優れているということ。それが分かると劣等感は消え去り、幸福感を生み出して病気は治癒する。
この方法は大ヒットした。世の中の半分の人は自分が平均より優秀と知り、劣等感から解放された。もう虚勢を張らなくていいから無理して頑張る必要も無くなった。社会は明るくのんびりとしてきた。
電子頭脳と会って自分が平均以下だと知ったもう半数の人も時を経て救われるのだ。社会が変わり人々が変わってくると平均値も変わるから、そのたびに電子頭脳もアップデートされる。幸福な社会で人々に向上心がなくなり、平均値はどんどん下がってゆき、それに連れて今まで平均以下だった人の半分は平均以上になり、その後再び電子頭脳がアップデートされ、また残りの半数は平均以上になる。
ついに誰も劣等感を持たない平和な社会になる。そして平均値AI電子頭脳はといえば、今やただぼんやりするばかり。馬鹿にしても反応しない。悔しさも覚えないし負けん気も無い。それがスタンダードになったから。向上心、ハングリー精神などというものはもう社会から消え去ったのだ。
標準人間は、からかわれようと、軽蔑されようと、なんの反応も示さなかった。それはすべての人びとから、そのようなことを嫌がる感情が、ことごとく失われていることを示していた。

なかなか考えさせられる短編。人間の本質を突くこんなストーリーを読むと、劣等感こそが社会を発展させてきたのかもしれないと思う。誰しも他人より劣る部分を多かれ少なかれ持っている。自分のダメな部分をそのままでヨシとせず向上心を持って生きたほうがいいのだろうな。
この短編集、どの話もいいが、私が一番好きなのは「宇宙の男たち」。何十年ぶりに地球に帰還する老人飛行士と青年操縦士の交流が描かれている。他に楽しみが無いロケットという密室で、軽口を叩きながらの会話は小さな娯楽だ。だが地球まであと3、4日というところでロケットに隕石が直撃、航行不能におちいった。
助かる見込みが無いと知り、青年は「両親」に遺書を書く。老人が覗き込むと、青年は自分の名を書いていなかった。彼は孤児だった。そのうえで、宇宙で消息を断った子を持つ多くの親がこの手紙で慰めになるかもしれないからとこれを書いたのだ。老人は自分が今まで宇宙での仕事で貯めたお金をその遺書に同封する。
その後二人は席につき冬眠剤を飲む。もうあとは死ぬまで宇宙を彷徨うのだと分かっている。操縦席のスイッチを切り最後の会話を交わし物語は終わる。
「ああ、眠くなってきた。何だか、わしにはおまえが息子のように思えてきたよ」
(中略)それから、どちらからともなく声をかけあった。
「さよなら」
中学生の頃「悪魔のいる天国」や「ボッコちゃん」を読んで衝撃を受けたのを覚えている。あの頃、お小遣いを貯めては星新一さんの文庫本を買い、未来への想像力を掻き立てられながら夢中で読んだ。
ユーモアや風刺を織り込みながら未来への警鐘や社会の矛盾が描かれる短編が多いけれど、この「宇宙の男たち」のようにただただジーンときてしまうストーリーもある。1000編を超す短編を生み出したという星新一さんの本は、時代を超えてもずっとずっと面白い。