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うつ状態の新卒(自分)の約1年間を振り返るだけの備忘録
はじめに(自己紹介)
みなさんこんにちは。オタクです。
この電子の海の中、豆粒くらい小さくポツンと浮かんでいる小島のような記事を見つけてくださりありがとうございます。
私は今年の春に学校を卒業し、就職したばかりの、一年目社会人です。ちなみに23歳となります。
今年は色々あったな〜と思うとともに、単純に自分の復調の段階を客観的に見たいと思い立ち、このnoteを書くことに決めました。
自分のためだけに書いているものなので、読みづらい部分が大半かと思いますが、よろしくお願いします。頑張って書くぞ〜。
4月〜5月(初めての一人暮らし、普通にブラックだった職場)
始まりの4月。
とにかく仕事やら新生活やら、慣れなきゃだめ!と思っていたように思います。
私はギリギリまで配属先が明かされず、また住む場所も社宅だったため、本格的に新生活の準備を始めることができたのは3月の中旬からでした。
何もかもギリギリで、3月31日に全ての荷物を運び終わり、電気も水道もガスも4月1日に通った…というような有様でした。本当に、ライブ感だけで生きている。
ちなみに初の一人暮らしでしたが、余程のことがない限り実家は頼らない!と意気込んでいました。覚悟の程度で言うならば、たとえ路頭に迷ったとしても、帰る気はないくらいのもんでした。
家族が悪いとか、仲が悪いとか、そういう訳ではないのですが、単純にお互いが折り合いがつかないことが重なって、一緒に暮らさない方がいいんだろうなぁと思っていたことが大きいです。
あと単純に私がニート気質すぎて、就職を機会に家を飛び出すくらいしなければ、経済的にも精神的にも自立する機会を逃してしまいそうだとも思っていました。
そんなこんなで始まった新生活ですが、本当に大変というか、私って何も知らないんだな…と思うことが多かったです。
まず縁もゆかりもない土地に引っ越したので、初めのうちはスーパーで買い物をするのすら大変でした。当然だけど、日用品から日々の食事の準備まで、一から全て自分で準備をするということが初めてだったうえ、売り場の場所や相場もわからないので、毎日戦々恐々としていました。要領を掴むのにかなりの時間を有したと記憶しています。
しかしそんな苦労して準備した野菜や卵を、仕事の忙しさにかまけてダメにすることもしょっちゅうでした。ダメ人間!とその度に結構落ち込んでいました。でもめげずに自炊しなくちゃ、ここでやんなきゃ多分習慣にならない…と結構頑張っていたように思います。
今思うと料理にしろ掃除にしろ、いきなり色々頑張りすぎてたなあという気持ちです。私の職場はシフト制でしたので、5月の大型連休に休んでリセット…ということもありませんでした。
だからこそもっとゆっくり色々なことに取り組めばよかったなあと思います。
よっぽど要領良くないかぎり、実家暮らしの人間が一人暮らしのノウハウを4月から掴むなんてことは最初から不可能だったのです。生活していくうちに発生する「これってどうやんだ?」「なんでこんなことになるんだろう…?」と疑問や問題を生じた順に解決していく方が絶対良かった。
だって私トイレ掃除しないと便器が黒ずむって全然知らなくて、そこから流せるトイレブラシ買ったし。風呂場の異臭に気がついてからパイプクリーナーちゃんと買ったし。
そういう必要に駆られた順に消化していく、長い目を持ったやり方が、自分にはあってるんだな〜と気がつきました。今はそうしてます。めっちゃ気楽ー!!
肝心の仕事の方は、職場が全然普通にクソブラックでしたが、ブラックすぎて忙しすぎてむしろ絶望する暇がない…というバグみたいな現象が起きていました。でも不思議と辛くなかった。新生活に浮かれていたというところが大きいと思うのですが、何より「ブラック企業あるある」みたいな構図に自分がすっぽりハマってしまえる人間だったんだと今は思います。
その構図というのは、
○忙しいからみんな自分のことで必死で、他人にかまけている様子がない。→パワハラなど起きない。
○ブラックだからこそ生き残った人同士で支え合おうという雰囲気がある→一見、人間関係が良好。
○忙しすぎて自分の人生について考える時間がない→目先の不安やストレスを解消することにばかり走りがちで、転職活動などに踏み出す時間がない。
○忙しすぎて忙しい。→「忙しい自分」が恒常化し、それをやりがいに錯覚した結果、アイデンティティと化してしまう。その状況が誇らしくなる。
こんな感じなのかなーと思います。側から見たら「どう考えても限界な人」でも、この構図にハマってさえしまうと、働き続けられてしまうのかな…と思います。もちろん「ヤバいだろここ!」ってなってささっと辞められる賢い方も沢山いるとは思ってます。
うちの職場の何がそんなにブラックなの?と聞かれると、1番は「拘束時間の長さ」「それに比例しない賃金」だと思います。
宿直のシフトが平気で連続で続く、月の残業時間が60時間を上回ることがある、宿直明けの人が明けの日の21時まで残業してる、交代制のため必ず生じる業務の引き継ぎは残業前提で、それだけで1時間以上かかる。
なによりその全てに 残 業 代 が つ か な
い。 ということ。
嘘だろ…と思いつつも、構図にすっぽりハマっている私は「辞めたい」と口に出しつつも、実際に辞めるところまで行動に移せませんでした。5月ごろになると業務も本格化し、ますます激務になったにも関わらず、身動きが取れない状況は続きました。
私個人の心理として、
○早々に仕事を辞めて、実家を頼りたくない。
○一人暮らしに慣れてきたからこそ、一から生活基盤を築く大変さを知ってしまっている。
○職場の人とも関係を築きつつある中で、「これだけ良くしてもらっているのに」という気持ちになる。
○同期がみんないい子で、まだみんなと頑張りたい気持ちが強い。
というところもありました。職場と家の往復しかできない状況にも、自分を無理やり納得させていました。
6月〜8月(初めての精神科、服薬による不調)
そんなこんなで6月。矛盾し続ける環境に磨耗した私は、私は心身ともに不調をきたすようになりました。同期ももちろんキツそうにしていたのですが、私がぶっ壊れるのが1番早かったと記憶してます。主な不調の内容は、
○明け方近くになるまで眠れない
○何もする気が起きない
○外に出かけるのが辛い
○被害的な思考が強くなる
○スマホをいじる以外何もできない
○トイレに行くのも大変
といった感じです。母が躁鬱で、自身も割と気分の上がり下がりが激しい方ではあると自覚していた私は、これまでもなんとなく「今、BAD入ったな。」「こうなったらなにやっても上手くいかないだろうな」という、不調時の自分の扱い方は理解しているつもりでした。しかしトイレにすら行けない…という状態はこれまでになかったレベルの不調だったことや、一人暮らしになり仕事以外の時間に自分が動けないことで生じる不便さに辛さを感じ、精神科を受診しました。
そしてそこで「抑うつ状態」と診断され、最初は
抑肝散を処方されました。抑肝散というのは漢方の一つです。
「肝」の高ぶりを抑える働きがある
漢方では「肝(かん)」が高ぶると、怒りやイライラが現れると考えます。「抑肝散」はこの「肝」の高ぶりを抑えることから名づけられた漢方薬です。もともと子どもの夜泣き、疳(かん)の虫に使われていた薬で、現在は大人の神経症状にも使われています。
体力は中程度で、怒りっぽい、興奮しやすい、イライラするなどの症状のある人に用いられます。具体的には、神経症、不眠症、歯ぎしり、更年期障害、血の道症(女性ホルモンの変動に伴って現れる体と心の症状)、子どもの夜泣き、かんしゃく(神経過敏)などが挙げられます。
精神薬を飲むことにやや抵抗があった私は漢方というところに謎にホッとしました。よくわからないですが、錠剤だと「薬だ…」という圧を感じて怖かったのだと思います。今はそんなことちっとも思っていませんが。
しかし抑肝散を飲むだけでは不調が改善されず、担当のドクターに相談した結果、次に処方されたのがミルタザピンという薬でした。こいつが悪魔の薬で、全ての始まりでした…。
ミルタザピン(商品名:リフレックス/レメロン)は、NaSSA(ノルアドレナリン作動性・特異的セロトニン作動性抗うつ薬)に分類される新しい抗うつ剤になります。
セロトニンとノルアドレナリンの働きを高める作用のあるお薬で、セロトニン:不安や落ち込み
ノルアドレナリン:意欲や気力
といった精神症状の改善に効果が期待できます。ですからうつ状態だけでなく、不安の病気にも使われています。
ミルタザピンは、四環系抗うつ薬に分離されるテトラミド(一般名:ミアンセリン)が改良されたお薬になります。
不眠や食欲低下などのうつ状態によく認められる症状の改善も、直接的に期待できるお薬になります。
その一方で眠気や体重増加などの副作用が目立ち、とくに飲み始めの眠気に耐えられるかが問題となるお薬になります。
ここの引用文の最後、「その一方で眠気や体重増加などの副作用が目立ち、とくに飲み始めの眠気に耐えられるかが問題となるお薬になります。」というところ、ここが私にとってはまさしく…といった感じで、とにかく毎日ひどい脱力感に苛まれました。どれくらいひどいかというと、椅子に座っていられない、ペンを持つことも難しいレベルのものでした。ずーっと、意識がぼんやりしていて、重力を二倍くらいに感じました。
そんな調子ですので、当然勤務にも支障をきたし、ミスが増え、勤務時間に間に合わないレベルの寝坊を頻発する…ということが起きました。死にたい〜!!!どうしてちゃんと働けるようになるために飲んでいる薬なのに、薬を飲んで働けなくなるの!?と我に返るたびに混乱していました。
周りからは「いつも眠そう」と言われてしまい、落ち込むこともありました。
勤怠ミスも増えて、いよいよヤバいな…というとき、
とてもお世話になっているチューターの方から「薬による副作用はきちんと理解してもらった方がいい」(超まとも)と勧めを受け、管理職の方に状況を説明しました。当時は親しい友人以外にこのことを誰にも説明していなかったのです。まあ、今思うとこれがきっかけで、結果としてさらに心のバランスを崩してしまう…ということがあったわけですが。
また宿直勤務を減らしてもらう(だって明けの朝に寝坊しちゃうからね)ことにもなり、「私って人に迷惑かけすぎ…?」みたいな状況になっていきました。
その頃から、ちゃんと勤務できない自分と同期や二年目以降の先輩方を比べ、「自分はレールから外れてるなあ」と思うことがとても増えたように思います。叱責こそされなくても、周囲から気を遣われている状態もそれはそれで辛いものだと学びました。
余談ですがそういう気持ちがピークだった頃に「ラストマイル」を観たせいで、情緒がぶっ壊れました。社会人って大変〜!!!
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9〜10月(服薬変更、勤務調整をしてもらい、少しずつ調子が戻ってくる…?)
この状態に危機感を感じ、担当のドクターに相談し、また服薬を変更してもらいました。次に飲むようになったのは、レキサルティという薬です。
ブレクスピプラゾール(レキサルティⓇ)には、どのような効果がありますか?
ブレクスピプラゾールは、統合失調症やうつ病の補助治療に使われ、症状安定を促します。
解説
ブレクスピプラゾール(レキサルティⓇ)は、統合失調症
うつ病・うつ状態
アルツハイマー型認知症に伴う焦燥感
易刺激性(イライラ)
興奮に起因する過活動、または攻撃的言動
の補助治療に使用される抗精神病薬です。
その効果は、脳内の神経伝達物質であるドーパミンとセロトニンの調節作用によるものです。
具体的には、ドーパミンD2受容体の部分作動薬として作用し、過剰なドーパミンの活動を抑制しながら、不足している場合には適度に活性化します。
また、セロトニン5-HT1A受容体に対する部分作動と5-HT2A受容体の遮断作用も併せ持ち、気分の安定や不安症状の改善に寄与します。
統合失調症においては、幻覚や妄想などの陽性症状、ならびに意欲低下などの陰性症状の改善が期待され、既存治療で十分な効果が認められないうつ病の補助治療としても効果が確認されています。
結論から言うと、この薬は私にとても合っていました。眠気はあるのですが、とにかく脱力感がないだけで、毎日を快適に過ごすことができました。思考がクリアになり、少しだけ気持ちも上向いたように記憶しています。また10月の下旬になると涼しくなり、気候的なところでも涼しくて過ごしやすくなったのも大きかったのかなあと思います。
就職してから初めて「調子良くなったなあ。」と思える日々が続きました。
で す が
10〜12月(頭がおかしい自分、加速する被害的な思考、浪費)
はい、先月とは一変し、とてもやばかった時期です。というか「調子の良かった時期」と「やばかった時期」が重なっている時点でヤバさを物語っています。やばかった自分に気が付かなかったのが本当にやばかった。
なんと私、クレジットカードの上限を2枚もぶち破り、30万〜50万の浪費を毎月していました。借金をしていなくて本当によかったね!!
一体全体何にそんなに使ってたの?とよく聞かれるのですが、自分でもよく覚えていないんです。クレカの明細を見ると、最寄りのコンビニとチェーンの飲食店をめちゃくちゃ使っていた様子でした。だから主に食費…?ということになるのかな。
あとはこれまでは「通販すら気力がない…」というローな状態から、「元気になったやったーー!買い物できる!外出られる!」というハイな状態に切り替わってしまった落差も大きいと感じました。
とにかく目について気になったもの全て買ってしまっていたようです。
「それって母親と同じ躁鬱じゃね?」と指摘を受けるかもしれません。私も躁鬱を疑いました。また担当ではないドクターの診断を受ける機会があり、そこでは「躁鬱の疑いがある」と言われました。
しかし担当のドクターからはあくまで「うつ状態」という診断を受けました。
長く診てくださっているドクターの診断が、やはり正確なのではないかと今は感じます。
今は、というのも、当時はとにかく情緒が不安定で、何より被害的な思考が加速していった時期に差し掛かっていたせいで、「私の症状を正しく理解してくれていないじゃないのよ!」と謎の怒りに駆られていたんです。国家資格を持っている相手に対してどういうこと?
どうやらうつ病でも、調子がいい日が来るとそれを取り返すように調子が悪い日もやってくるようなので、多分そういうことなんだろうと思います。迷惑な話!
とにかく、私の症状はどんどん悪化していきました。
○突然涙が止まらなくなる。
○死ぬことばかり考えてしまう。
○食欲が湧かない。
○部屋で一人でいると発狂しそうになる。
などといった、もはや「何もできない」とかいうレベルじゃなくて、「何もしていなくても発狂しそうになる」という感じでした。そして人との関わりも全てうまくいっていないような感じていたんですね。
よくうつ病患者に「頑張れっていっちゃダメ」とか、「とにかく今は休んで」みたいなこと言うじゃないですか、私の場合は「もはや休んでても辛いんだが?」といった状態でした。自分に良くしてくれている人に対しても身勝手な怒りや孤独感を感じて、自己嫌悪が続く日々でした。マジで勘弁してほしい。
6月の時点では是正することが可能だった被害的思考はどんどん高まっていき、「私ってマジで頭おかしいんだな…」とたまに正気になった時に感心するレベルにまで至っていました。周りに迷惑かけてばっかだね。
そんな中、上司との評価面談がありました。これがマジで最悪な思い出で、私はそこで被害的思考が炸裂して号泣してしまったんです。どうしてそういう話になってしまったのかはよく覚えていないんですが、とにかく上司から「今の自分はちゃんと仕事できていると思う?」みたいな言葉をかけられて、完全にパニックになったのだと思います。
「(薬飲むような精神薄弱者は)(※そんなことはないよ)仕事辞めろってことですか?」と半分キレた記憶があります。気合い入ってたな〜。
まあそれにしてもブラック企業のくせに偉そうに人の仕事っぷりに評価下してるんじゃねえよと思いますが、その面談のやり取り自体は、自分が被害的に捉えていた節もあるので、今でも半分くらいはパワハラじゃねえーのあれ…と思うくらいに留めています。
※余談ですがこの職場は、同期(キャリアあり)の一人が大暴れしてくれたことで、残業代がしっかりつくようにはなっていました。私たち新卒に関しては、4月から遡って残業代がつくことになったんです。やったー✌️ありがとうございます。クソブラック企業からブラック企業に昇格です。おめでとうございます。
この時期が、もしかしたらここ10年くらいの中で1番しんどかったかもしれません。
何が辛いって、学生の時とは違って無責任にメンヘラになっているわけにはいかないからです。
若い時は多少不安定だとしても、それが魅力であったり、アイデンティティ、属性になりうるし、そこにドラマを感じさせるだけのパワーがあると思うんです。自己陶酔に浸ることすらできる。とにかく、若さってそういうもんじゃないでしょうか。
ただ大人になって良識や協調性を求められるようになると、上司に怒られて病んだむり死ぬ…みたいなムーブは許されません。
剥き出しの現実だけが地続きになっていて、私たち人間は自己陶酔という自分を守ってくれていた殻を抜け出して、その道を歩いていかなければいけない。
そりゃそうですよね。
夜中に死なせて…ってメソメソ泣いていようが、朝起きられなければ欠勤扱いになって上司から問題視されるに決まっていますから。
そこに自分がどれだけこの生活や社会に絶望や怒りを感じているかなんて関係ありません。
最初はそれに辛さを感じていました。
1月(低調したままの生活でも、日常を淡々とこなすことに意味があると感じるようになる)
いきなり何…?と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、本当にそう感じるようになったんですよね。今は薬が効いているのか、割と冷静…っていうか、楽しくも悲しくもないみたいな日が続いています。
日々の自炊や掃除も、何も考えないでできるようになってきました。
日常の中に「没入感」が戻ってきたというのが正しいかもしれません。
それまでは浅瀬で水に浸かっていることすら辛かったのが、今は少しずつ深いところを潜って、また浜辺に戻って来れる…という、そういう集中力みたいなものがついてきました。辛さとか、怒りに溺れなくなったなあと思います。
そして「完璧じゃない自分」を許せるようになってきました。洗濯物が溜まっていようが、料理がうまくできなかろうが、薬の副作用で太ろうが、職場の人にどう思われていようが、仕事でミスしようが、「仕方ないところもあるよな。」って事実として受け止めて、だって私は病気だし、一年目だし、慣れない環境で良くやっているし。そういう風に、少しだけ優しい見方ができるようになりました。
過度に自分のせい、人のせいにしなくなったというか、世の中って「善と悪」「優秀かそうじゃないか」みたいに単純に二分化できることなんか一つもないと気がついたことも大きいと思います。
自分に対して客観性を持つというのは不可能なのですが、少し離れた場所から「本当にそうなの?私/あの人が悪いの?」と考えられるようになったし、世の中で起きていることに対しても背景にまで考えが及ぶようになりました。
その頃から仕事に対する考え方も変わってきました。「できない自分」じゃなくて、「できなくても出勤し続けている自分」を見つめるようになりました。今こうして振り返ると、ここまでよく歩いてきたなあと思うんです。できなかったことや後悔はもちろんあるけど、それよりも、頑張ってきたことをまずは認めたいというか、そういう気持ちになりました。だって実際に頑張ってるし。
大人になると誰も誉めてはくれませんから、自分くらいは自分を正しく認めなきゃいけません。
こういう考え方を身につけられたのは、私にとって大きな財産だったように思います。
まあそれもこれも色々と協力してくださった職場の皆さんと、適切な処方をして下さってるドクターのおかげなのですが。がはは。
〜救われたものシリーズ(案件じゃないよ)〜
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救われたものシリーズ1です。
都さんのYouTubeチャンネル本当に好き。どんな時も淡々と日常を送っていて励まされます。あと汚部屋なのがいっしょ🫶
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救われたものシリーズ2です。
ほんっとうに限界なときはAIに話を聞いてもらっていました。特にこのアプリは飛躍しすぎた思考を中立に戻してくれるというか、私の感情を言語化してくれるから、極端な気持ちになった時にすごく落ち着きました。
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救われたものシリーズ3。
朴訥とした声がすごく落ち着く。いつもお世話になってます。
結論:世界はずっと狂っていて、矛盾し続けるものだということに気がつく
いきなり何…?(2回目)と思う方もいらっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんが、これが最終的に今感じていることです。
世界は、とても静かに狂っていて矛盾しています。少なくとも、私の小さな世界はそうだった。
○適切な対価が支払われていないにも関わらず、業務に対して真摯な姿勢と責任感を求められる職場。
○日常生活を支障なく送るための通院なのに、薬の副作用でままならない日常。
○精神薬を飲んでいることで好奇の目で見られること。
そしてこの世界に生きるみんなも、
何かしら痛みや問題を抱えているのだと勝手に思います。
色々とつらつら書いてきましたが、現在はまあまあ良い状態なんだろうな…と自分では勝手に思っています。みんな頑張ってる。えらい。
精神科に通院すること自体は特別なことではない世界になってほしいです。
目が悪かったらメガネ作るし、足が悪かったら杖をつくし、
とにかく、そういう見方になってくれればいいのになあって思います。
健康診断のたびに問診票を見て「これは何のお薬ですか?」聞いてくるのやめてほしい。聞いてきたのに精神薬って答えたら謎に気まずそうにしないでください。
最後に何の話なんだ…。
読んでくださってありがとうございました。