哲学を実装する【数年前のarchive #4】
私の起業に対するモチベーションの源泉は何かと考えると、「哲学」であると答えるだろう。私はそこまで多読家ではないが、読む本の6~7割程度は全て哲学の古典や現代哲学に関するものである。綺麗事で馬鹿げていて若く浅はかで申し訳ないが、そう言う意味で私にとって起業≠資本主義であるし、お金稼ぎしか念頭に置いていない事業なんて至極どうでも良く、窮屈で仕方がない。もちろん、理想と現実は違う。現代社会においてお金は思想を大成するための燃料であるし、結局ある程度妥協していい感じに稼げる形を模索する必要がある。
だが、正直いってそこら辺はあまりわくわくするトピックではない。高校生の2年間ビジネス的な何かを立ち上げようとして形になりきれなかったのは、哲学に比重をかけすぎた側面もあるのだろう。
では、哲学とは何か。哲学の定義は無数にあるのだが、私にとっての定義はこうである。哲学とは、今見ている世界を相対化し、取り出し、普遍的で本質的な要素を見つけ出す一連の流れである。
哲学は世界の観察者、という一説を何かの本で読んだことがあるが、哲学に対して「活用する」「実装する」というイメージを持っている人はあまり多くないだろう。それもそのはずで、"普遍的で本質的な流れ"はよくわからないものだからだ。それは、実世界とかけ離れているように見える。「哲学は実世界に干渉してはならない」と言う人さえいる。
しかし、本当にそうだろうか。私たち人間は、捉えどころのない得体の知れないものを恐れるように進化してきた。哲学は哲学の世界に閉じ籠っている、高貴な言葉遊びである、といった調子で別世界のものとして考えておくと、それ以上思考しなくて済む。だがそれは、哲学を解釈し、捉えようとすることから逃げているだけではないだろうか。私は、哲学とは、解釈し、捉え、実装しようとすることではじめて社会に接続し、意味を持つのだと考えている。(哲学は社会に対する意味を持つべきだ、とは言わないが、意味を持っても良い・そういう活用の仕方があって然るべきであると思う。)
次に、視点を「哲学を実装する」ことについて向けてみたいと思う。先ほど述べたように、哲学とは、世界を抽象化し、取り出し、普遍的で本質的な要素を見つけ出すことだと定義したが、「実装する」というのはその先に"比較"と具体化"という工程を踏むことであると考える。少し前にデザイン思考が流行ったが、簡単に言えばその逆を行えば良いのだ。小さな身近な課題から解決策まで少しずつ上に上げていくのがデザイン思考である。一方で「哲学の実装」は本質的で抽象的な物事の要素を解釈し、現実世界と比較し、足りないものを補う形で具体物に落とし込んでゆく。
哲学は、世界がどこに向かうべきか判断するための羅針盤たり得るのだ。
だが当然、このアプローチには大きな障壁がある。哲学を実装する姿勢を取ろうとすると、「〜は〜であるべき」という理想が必然的に最前線に置かれることになる。だがそうすると、ともすれば事業が地に足のつかない浮ついた理想論に成り下がってしまう。事業として高尚な理想を掲げるのは勝手だが、提供するサービスは哲学書のように難解であってはいけないのだ。
おそらく、このアプローチの明暗を分けるのはここである。入りは抽象的な哲学でありながら、アウトプットは平易なサービス。"現在ある課題を利用し、順を追って階段のように哲学を実装していく"というのが良い形なのだろうか。本当に悩ましい。
追記:
「潜る」という言葉を教わった。
一旦自分の思想を置いておいて、まずは現実的なキャッシュエンジンを作り、それがうまくいってから自分の思想にとりかかるという意味らしい。
何も持っていない人がゼロから思想を形にしたいのであれば、泥臭く少しずつ足下を整えていくことが先決なのだろう。
人類のしなやかさを高める
ここからは私の実装したい哲学についての話である。
実は気づいたのは最近なのだが、私は人類のしなやかさを高める仕組みを作りたいと強く願っているようだ。しなやかさ、とは流行り言葉で言うと「レジリエンス」である。危機や解決が困難な課題に面したときに対応する能力のことだ。
そして、もっと簡単に言い換えるならば、「誰もが将来に対して希望を抱くことができる世の中」である。希望は活力に繋がる。
昨今の国際情勢をはじめ、私たちの生きる世界では解決が不可能に思える恐ろしいことが度々起こる。その度に将来に対する漠然とした不安ばかり高まり、希望が失われていく気がしてくる。
とはいえ、日々暮らしていくことは皆そこそこ楽しいと考えているはずである。絶望感に打ちひしがれて、のたうち回りながら生きている人はそれほど多くない。しかし、将来に目を向けると途端に目を背けたくなるような漠然とした恐ろしさが頭をもたげる。チャップリンが「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である。」と言ったが、現在は「人生は近くで見ると喜劇だが、遠くから見れば悲劇である。」と言えるのではないか。時が経つにつれ、少しずつ世界が終わりに向かって行く音が聞こえてくる。
私たち人類にはしなやかさが足りない。解決不可能な問題に答えを見出し、希望を持って実行する態度を人類が手に入れるにはどうすれば良いのだろうか。
どうやら私は、ここで鍵になるのが「子供たち」と「情報」と「繋がり」なのではないかと考えているようだ。
2年間続けているEapleはゆとりある家族を作り、価値観の多様な子供を生み出すことで日本の価値観の共存を支えるための仕組みである。
https://www.to-mare.com/news/2022/post-64.html1月からエンジニアとして関わっている選挙割は、子供たちの目を政治に向けてもらうためのツールである。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6178c5f6e4b066de4f691d54私の構想(構想というほど大層なものではない、妄想に近い)しているオープンデータ文化はビジネスの世界における情報公開を促進し、フロンティアを明らかにし、社会貢献の意味合いが強い「起業」をエンパワーメントするための文化である。
https://note.com/preview/n7f6495a20814?prev_access_key=96ad99ca9970ec90431669e2801a0c70かつて作ろうとしていた金融教育のサービスはZ世代が主張するための武器を作り出すための仕組みである。
振り返ってみると、自分が納得感を持って進もうと思った先には「子供たち」と「情報」と「繋がり」が存在しており、人類の根幹を支える「しなやかさ」の発現を目指している。
取り止めもない文章になってしまったが、私は「哲学を実装する」というアプローチが私たち人類の道標になると信じている。
思想なき世の中は必ず腐敗する。思想が育まれる世の中であれば、生み出される哲学がどんなものでも一向に構わない。思想とは、常に疑いの姿勢を兼ねているからだ。それは連綿と続く人間社会の自浄作用として機能してきた。
そして、世の中の根幹をなす要素は間違いなく子供たちである。
子供たちが自由に思想を深められる世の中を作り上げること。これが人類のしなやかさに直結することは、もはや言うまでもない。
あとがき的な
とはいえ、まずはお金を稼がないことには始まりまらないと2年間を経てようやく気づいたので、4月から新しいサービスを始めました。
https://protorype-beta.studio.site/
これは前述したEapleで自分達が抱いた課題感と、アプリ外注が高すぎることに対する怒りをミックスしたようなサービスです。
2年前サービスを始めようとしたときに、とある投資家の方から「技術力がないとスタートラインにも立てない」と言われたことがあります。
技術力なんて、サービスを本気で始めようとしたら後からいくらでもついてくると思います。だからとりあえずやってみよう、のはじめの一歩が技術的な障壁によって阻まれるのはおかしい。そんなこと言ってるから挑戦が活発にならないんじゃないかと思うわけです。
もし新しいことを始めたいけど技術力がないっていう方いたらぜひ利用をご検討ください。
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