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ふたつめ「花束を君に」
その日は唐突にやってきた。
後ろ足で自重を支えられないのか、前足だけで歩き、後ろ足を引きずっているようにみえる。触診して見たが痛みはないようだ。もう15歳のおばあちゃんだから、筋肉が弱ってきたのかしらねと話していたら、すぐに階段を上り下りすることができなくなった。
簡単な段差を超えることができなくなった
自力でトイレに行けなくなった
食いしん坊だったのにごはんをほとんど食べなくなった
甘えて伸ば
禍を転じて pfrうぇあい9 となす
電気もつけない真っ暗な部屋でそっと耳を澄ました
寝ている飼い猫がゆっくりと呼吸している音が聞こえる
規則的に繰り返すその音はワタシの気持ちを落ち着けさせる
(だいじょうぶ、まだ、だいじょうぶ)
漠然とした不安が消えることなく
ただただ変化に乏しい景色が
『自粛』という2文字が重くのしかかり
繰り返される灰色の日々
怯える反面
いつか来てくれると待ち望んでいた
『死』をどこかで期待していた日々
Never Enough
第2回で「後継者を育成」って
烏滸がましいこと言ったけれど
自分が先代から叩き込まれたノウハウなどを
部下や後輩に伝えるってのは
社会が回るためには大事だといまでもおもってる
伝えられたことを
彼ら、彼女らがオリジナルにアレンジする
そこからより新しい経済活動が生まれたりして
社会が成長していくのだから
というソレっぽいことを
言ったりすることで
004ったらインテリじゃない
って思われたいの
バラード 第1番 ト短調,Op.23.
恋はワタシを綺麗にした
恋はワタシを強くした
恋はワタシに涙を与えた
恋はワタシに絶望を教えた
誰かがワタシにいった
「キミは恋多き女だよね」と
それにワタシは申したい
「恋をしないで生きられる人なんているの?」と
お付き合いの数だけ数えれば
60数人の殿方との人生を歩んできたワタシにとって
誰かに恋して成就しなかった数なんて
それこそ数え切れないくらいの恋の物語がある
本当に恋していない
モノガミス『ト』スミガノモ
私はモノガミストだ。
モノガミストと言うとセクシャリティに関係なく一瞬眉をひそめられる。
いいイメージがないのだろう。わたしにとっては半分正解。
でも若かりし頃にふとおもったことがある。
わたしは本当にモノガミストなのだろうか?
欲しかったのは本当は1対1の関係性だったはず。
なのにいつの間にか”相手から絶対的で不変な愛情が欲しい”に移り変わってしまったのではないだろうか、と。
その頃のことは
さよなら▲ またきて□
そしていま。令和元年。
人が大好きで仕方なくて
つねにだれかの近くににいることで
自分のすべてが充足するものだとおもいこんでいた
ナニモノでもなかったゲイの男の子は
自分の本質をきちんと自身で知り
一人の時間がとても重要であることがわかり
人との関係にキチンと距離をおけるようになった
それがときどきとても寂しくなり
わたしの中の太陽娘が激しく揺さぶられることもあるのだけれど
わたしのエネルギー
ウェディング・バンケット
平成中期。20代後半。
前回の平成初期以降もわたしは相変わらず自分がナニモノなのかを誰かに問い続けていた
自分じゃナニモノなのか分からないから誰かを通して何者になれるんじゃないかってそれこそ天使にだってなれるんじゃないかって
わたしの彼氏ぃ、あのイベントのオーガナイザーなんだよぉ
わたしの彼氏ぃ、2丁目にいくとみんなに声かけられちゃって困るぅ
わたしの彼氏ぃ、わたしの彼氏ぃ、わたしの彼氏ぃ
ナニモノでもないワタシ
平成初期。平成8年。21歳。
自分がナニモノなのかわからないくせに「若さ」という一過性の武器をこれでもかと振り回し自分を中心に世界が回っているというただただ根拠のない自信を持った、いまのわたしが出会ったら絶対に友達になりたくないニンゲン
それが21歳の頃のわたしだ
わたしが『21歳のわたし』を擁護するとすれば、自分がナニモノなのかわからず闇の中を手探りで歩いていくことがただただ不安で不安で仕
ガイジンと呼ばれた自分と『自分ルール』の芽生え
平成元年。14歳。
西暦で言うと何年になるんだ。
あらやだ、1989年ですって。いまが2019年だから何年経過したのかしら。
繰り下がりのある引き算むずかしいし、レディーに年齢を聞くのってヤボだと思う。いまが平成31年なんだから、平成元年からならすぐわかるだろって?いやよいや、マコはそんな無粋なことしたくないっ!マコはいやっ!
放っておくとこうしてわたしの文章はどんどん脱線していくので、きちんと