(感想)『北の国から’87初恋』
田中邦衛さんが亡くなって,昨夜は追悼放送で『北の国から’87初恋』が放送された。私は北の国からシリーズではこの’87が一番印象に残っている。私は79年生まれなので,この放送は小学3年生の時に放送された計算になる。おそらくレンタルビデオ屋で借りて観たのが最初だと思う。それから,すっかり尾崎豊の曲を集めるまでになった。クライマックスで純がウォークマンで聴いて涙を流すシーンに感情移入してしまったのだ。
何度観ても涙してしまう。今日は外があいにくの雨。どうしても気乗りしないので北の国からを流しながら,読書をしていた。しかし,途中からすっかり見入ってしまった。HSPの影響は出ていると勝手に思っているのだが,何度観ても涙が出てきてしまう。五郎,純,蛍の感情がビンビンに伝わって来るので,凄すぎる作品だと思う。
「風力発電」「風=息」
風力発電に関して,中学生の純とレイちゃんが関心を持っている。「風=息」生きているエネルギーが伝わってくる2人はやがて恋に進展していく。
「女性=アニマ=創造性」
レイ(横山めぐみ)が東京の高校に行く目標があり,レイに誘われる形で東京の一緒の高校に行くという夢を持つが,やがて起こる事件によって,それが叶わなくなってしまう。それまで,父親と対決してまで行きたいと思って,東京のおばさん(竹下景子)に手紙まで書いていた純だったが,一気に無気力になってしまう。そのシーンを観ると確かに思い当たる節がある。私もそうなのだが,アニマの存在が自分の行動力のエネルギーになっているのだ。それが誰でも女性だったら良いというものでは無い。影響のある女性っているのだと思っている。
「オオサトの頑固親父が奥さんを誤って轢いて亡くなってしまう(アニマの喪失)」
先程も書いたが,「純が富良野から東京に旅立とうとしている動機にレイ(横山めぐみ)の影響」がある。オオサト(レイ家)の頑固親父もそうだが,男同士ではプライドがあり意地を張っているが,同じことを五郎にも言える。この男性同士の関係性も勉強になった。
「父親との対決から旅立ち」
純は五郎との象徴的対決。その後に東京に進むことになる。動機に関してはアニマの影響が強い。レイの影響で反対するであろう父親に黙って,捨てる形で出ようと思っている2人。しかし,そんな考えは甘く,対決に直面することになる。そんな大騒動を経ての旅立ちなのである。
「泥のついたピン札」
古尾谷雅人さんが大型トラックの運転手役で出ているのだが,そのトラックで純が東京へ向かう。事前にお願いしていたのが五郎で,五郎の運転手さんに対しての低姿勢具合に関しての強く印象に残っている。笑顔で本当に苦労しているお父さんなんだなと思わされるシーンだった。
それからエンディング間近の名シーンになる「ピン札に泥がついている。これは俺は受け取れない。お前が一生持っとけ」この言葉に,純の涙が止まらなくなる。この場面に男の不器用さのようなものが物語っている。
✱
感想
「機能不全の父親に休み無く働く母親」
私は五郎の姿を母親に重ねてしまっているところがある。既に68歳にもなっている母親に交代勤務の仕事をさせてしまっている所にある。父親は前回書いたように既に亡くなってしまっているが,借金には苦しめられてきた。だから未だにそうだが,親には決して頼りたくないと思っている。この部分は純と一緒である。
「私は対決することを常に避けてきた」
ただ,うちに関しては,北の国からと違っているのは,母親の強い意向で,衝突することを禁止されていたことがある。「兄弟げんか禁止」「暴力禁止」この部分を20年以上継続しているので,正直未だに弟に関しての接し方が分からないのである。姉に対してもだし,そして社会に対しても同様である。
ただ,佐々木修先生(公認心理師,カウンセラー)と自己分析を繰り返している中で,「攻撃性」をぶつけること,対決すること(象徴的に)の重要性を知り,攻撃性を抑圧してきたことが悪い方に向かってきたことを知った。無理があったのである。
「私にもあったアニマの接近」
私にも,アニマの存在が沢山あった。その都度いけないことをしているような感覚もあった。中学,高校は恋愛からは避けてきた。自分より世間体(家族,親戚優先)だったように思う。社会人になってから少しずつアニマと接触するようになった。
今思えば,ありえないような恋愛を沢山してきた。しかし,後悔はしていない。それによって,人生が切り開かえるきっかけになっていると思ったからである。ただ,正々堂々とした恋愛はしてこなかった。この辺は,私の中の未熟な所だったと思う。
面白いもので,42歳にあと22日でなろうとしている今も,多くのアニマとの接触を続けている。ただ,結果として新しいものはその都度出来上がっているんだとは思うが,発達課題に関してはクリアには程遠いようだ。純と同様,色々と経験を重ねていく中で,何処かでふわっと気づくものもあるのだろう。