生きづらさと共に(バウンダリーその後)
少し前にバウンダリーについて書いたけど、もう少し付け足したくなった出来事がありました。
実はバウンダリー(境界線)ってなかなか引けない人が多かったりする。何故かって?
人間関係の社会の中で生きているからだと思うのだけど、そこまでに生まれ育った自分なりのバウンダリー(境界線)があっても、それが正しいのか?このままでいいのか?他人との社会的な付き合いの中で、試行錯誤しているわけで、自分が納得のいくバウンダリー(境界線)が引けたとき、自分らしく・・・とか自分の軸というか強さのようなものを、自分なりに見つけて、自分にOKの許可出せればいいのだけど。そこが侵害されたり、侵されたりすると、いや~ちょっと待て待て!っていう前にずけずけ入り込まれちゃったりする。
そこでもう一度、強く意思を持って「あなたはここまでですよ」とか「あなたならもっといいわよ」とか「あなたは門先でご挨拶ぐらいね」というように人によってできれば勿論OKなのだけど、案外他人はその人の境界線で勝手に侵略してくる人が多いよね。
このバウンダリー(境界線)が引けて、自分の強さがちゃんと主張出来て初めて、自分のこころやからだは安心できるわけで、安全だと思えるわけなのです。
①バウンダリーを引くことができる
②自分らしく自分軸を体感できる
③自分の安全で安心する場所を確認できる
この順番!大事だと思う
安心安全が前提であるように言われてきたけど、この逆の法則?(勝手にネーミングかな)じゃないと本当の、真の安心安全はいつまでたっても得られないんじゃないかな?と思う
境界線が引けるってすごいことだといつも思うわけです
あなたはどうでしょう?
後ろからのしかかってくるようなやつは、一本背負い!がいいらしい(笑)
教えてもらったのです。
こういうのは頭の中で想像するより、からだを実際動かして遊んでみるの!
ヨガやってスッキリするのは大人だけど
子どもはそうやって遊んで、えい!や!って投げてるんだけどね(笑)
大人は恥ずかしくてできない人多いよね
一人でやってみてもいいよ
誰かと一緒っていうのもいいよ
大人になっても遊び心ってちょっと可愛いんだけど( *´艸`)