田舎のおばちゃんがカウンセリングと出逢う(産業カウンセラーとローフード)
自分ってどんな人?って問いかけられたら、どんな言葉が出てくるんだろう…
私が思いつくのは、「気まぐれ」「その時の気分次第」子供のころからよく言われた「落ち着きがない、気分にムラがある」(小学校の通知簿の、先生からの一言欄には、よく書かれていたなあ)
話は戻って、娘の一件で田舎のおばちゃんはカウンセラーさんと衝撃的な出逢いをしてしまったわけで、そのおかげで、自分の内面をじっくり見つめようと動き始める。PCが日常的にあるようになって、知りたいことや情報は意外と簡単に見つけられるようになり始めていたから、何となく検索した「カウンセラー」ポチっとね
丁度、その頃「日本産業カウンセラー協会」が養成講座の受講生を募集していた。田舎で受講できる、通える講座としては唯一だったように思う。ボリュームもあったし、魅力的に見えた。
こんな田舎でも今はネットの時代なので、簡単に情報は得られる。日本産業カウンセラー協会の養成講座は、日本中で展開されていて、その当時50年近くの歴史があり、信頼できるところだろうと思い、事務所に恐る恐る…図々しく電話してみた。
「カウンセラーという職業に興味があるのですが、心理学の知識も何もありません。こんな私でも受講できるのでしょうか?」
答えは簡単である。「受講できる」だった(笑)
その当時、私にはもう一つの好奇心がむくむくと湧いてきていた。それは「ローフード」という言葉。まだ日本では知られていなかった。日本語訳の本がまだなかったころ「グリーンスムージー」という言葉に喜んだ。その頃の出会いはローフードをよく知っている人にはおなじみの「Woo〇〇さん」素敵な方です。彼女の言葉には沢山の刺激があった。
石塚ともさんの「ローフード・フォー・ビジー・ピープル」とダンサンプール、トーマさんの「なんでわかってくれないの!と思った時に読む本」をカウンセリングも心理学も知らない私が持っていた。こういうところが、気が散る私の欠点だとも思うが、それが今では全て繋がっているから不思議だ。
日本産業カウンセラー協会の養成講座の門をたたき、7ヶ月間、傾聴という態度を学び、翌年、産業カウンセラーの資格を取得した。簡単に書いてはみたが、あの7ヶ月間は自分と向き合う辛さと戦っていた。私の中の自己批判の闘争と逃走が行ったり来たり、傾聴の態度を学びながらも、自己理解というドツボにはまっていく。安心と信頼できる環境で学びは進むわけだが、ここからの出会いが波乱万丈じゃないだろうか?と自分でも感心する。
協会の資格は取得したものの、何をどうすればこの資格が活かされるのか? 何をこれから更に学べばいいのか?よくわからず、世の中に放り出されたような感覚だった。
協会は次のステップとしてシニア産業カウンセラーという中級クラスの資格を準備し、しっかりと自己研鑽することを薦めている。自己研鑽は本当に必要だと今でも思うが、この時はとにかくお金がかかる…としか思えなかった。手あたり次第、シニア講座を受講しながら、シニア産業カウンセラーの資格も取得した。
シニア産業カウンセラーの取得をするために沢山の方々と出逢った。それは私の宝物になっている。財産とも言える。人とのつながりは不思議なもので、出逢うなかで私の気づきは大きく影響される。だからこそ止められないし、喜びも大きい。
娘はその後オレゴン州にあるポートランド州立大を卒業する。子供の成長は親が想像することができないものだと常に思う、良くも悪くもだ…あかの他人に対しての捉え方と、自分の分身だと思っている子供に対しての捉え方は違いがあると思っていたが、そんな比較は必要ないと、何時しか思えるようになっていた。人と関わるということは、それ以上の感動を常に持ち、私の中に芽生えさせてくれるものとなっていた。