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瞑想

私たちは瞑想と聞くと、静かに目を閉じて呼吸を調え、こころを落ち着かせる状態のことを思いつくと思います。勿論、私もそうなので、息を調える、こころを調える、からだを調えるという仏教の教えが先ず基本にあるのです

日本人はブッダの教えが太古の昔よりからだに流れているのではないかと思います。(勝手な感想)日常生活のなかで、どこかしらそのような感覚があるのではないかと思えることがあったりする。そうだとは断定はできませんが、わりとすんなりと抵抗なく納得したり、できたりしてると思ってます。

私が最近、気になってやっている瞑想をご紹介します。きっかけになったのはハコミセラピーが取り入れてるマインドフルネス、さらにブッダの瞑想からサマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想です。

マインドフルネス

マインドフルネスは現在において起こっている経験に注意を向ける心理的な過程であり、瞑想およびその他の訓練を通じて発達させることができる。マインドフルネスの語義として、「今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること」といった説明がなされることもある。新しい考え方ではなく、東洋では瞑想の形態での実践が3000年あり、仏教的な瞑想に由来する。現在マインドフルネスと呼ばれる言説・活動・潮流には、上座部仏教の用語の訳語としてのマインドフルネスがあり、この仏教本来のマインドフルネスでは、達成すべき特定の目標を持たずに実践される。医療行為としてのマインドフルネスは、ここから派生してアメリカで生まれたもので、特定の達成すべき目標をもって行われる。マインドフルネスは、大きくこの2つの流れに分けられる。医療行為としてのマインドフルネスは、1979年にジョン・カバット・ジンが、心理学の注意の焦点化理論と組み合わせ、臨床的な技法として体系化した。Wikipediaより


仏教的な流れが宗教色が濃いと捉えられるということを懸念し、アメリカで医療行為とするためにハートフルネスにするのかマインドフルネスにするのかと迷いマインドフルネスと名付けたとも聞きました。ジョン・カバット・ジンの心理的な焦点化理論が主な流れとなっていると思います。


サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想


仏教において瞑想(止観)を、サマタ瞑想(止行)と、ヴィパッサナー瞑想(観行)とに分ける見方がある。サマタ瞑想は精神集中であり、高ぶった心を鎮める手段でもある。ヴィパッサナー瞑想は洞察(智慧)であり、沈み込んだ心を活気づける手段でもある。通常、ヴィパッサナー瞑想とサマタ瞑想はペアで修習される。ヴィパッサナー瞑想とサマタ瞑想は包摂概念でもあり、様々な瞑想状態もしくは瞑想法は、このどちらかか、あるいは両方に含まれる。

一般に仏教においては、集中力を育てるサマタ瞑想(巴: samathabhāvanā)と、物事をあるがままに観察するヴィパッサナー瞑想(巴: vipassanā-bhāvanā)とが双修され、この点は南伝仏教でも北伝仏教でも変わらない。

スリランカ・東南アジアの上座仏教では、止は普通のお寺に住んでいる比丘たちが行う瞑想法で、心を鎮めるものであり、観は止よりずっと高度であり、諸行無常・諸法無我・一切皆苦という仏教的真理を洞察して、涅槃寂静に達しようとするものであるとされている。これは伝統的に、森林にこもって瞑想に専念する森林僧が行うものである。Wikipediaより

観の瞑想という点でとても忙しく感じる人もいるかもしれませんが、ヴィパッサナー瞑想は実況中継だと思っていただくと分かりやすいと思います。

私達には「眼」「耳」「鼻」「舌」「身体」「こころ」という認知チャンネルがあります。色・形・音・香・味・触(硬さや熱)そのすべてがこころに触れます。それをダンマと言います。

少し省きますが、例えば耳に触れるのは空気の振動ですが、それをこころで確認します(耳識)それからその確認したことを、頭・こころの中で理解できる音にして解釈するのです。そして過去の感情やら、さまざまなものを混ぜて自分のストーリーを記憶としてこころに溜めておく、これは捏造です。

この捏造のしくみを破ることがヴィパッサナー瞑想の目的の一つです。

「私」が知る「あなた」は私の捏造だというところも腑に落ちます。コミュニケーションが難しいと思われる方多いと思います。もちろん大切なことです。でもなかなか成り立たないと感じられている方も多いのではないでしょうか。コミュニケーションの講座をやって欲しいと言われますが、簡単なようでとても難しいお題なのです。つまり「私」は「あなた」を勝手に捏造しているというところからコミュニケーションは捏造のなかで起こる一つの現象だと思ってもらえると分かりやすいのかもしれません。

だからといって、いつも捏造なのでは?と恐れる心配はないのです。自分が捏造している世界は自由なので、自分の想いのまま良くも悪くも受け止めることができる自由さも持ち合わせています。

ヴィパッサナー瞑想を続けていると、からだの動きにとても敏感になっていきます。そしてそれは楽しい(私の感想)ひょっとしたら騒がしいと思う方もいるかもしれない、人それぞれですね。

瞑想というのはこころが穏やかで、平常心でいられることが強みになると思います。感情的になりそうな出来事や、動揺して何も手が付けられなくなる辛さを抱えて生きていくことは、とても苦しかったり、抜け出したいと思ったりします。それが全て瞑想で何とかなるというわけではありません。

マインドフルネスや瞑想が平常心へと思えるきっかけになれるように、日々習慣化できればと思っています。




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髙橋玲子
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