自分史:大学生編
前回は高校生時代の自分を振り返った(以下記事)。
高校生編でも書いたが、進学した大学は第2志望の大学であった。第2志望の大学ではあったものの、入学前は初めての一人暮らし生活やキャンパスライフにワクワクしていたのを覚えている。実際はバイトや連日友達との飲み会など大学生らしい大学生活をしていたと思う。大学での5年間(1年休学して留学してました)は、いまの自分を形成する軸となった期間であったと感じている。
ニューヨーク留学
私は3年生になる年の1年間を休学してアメリカのニューヨークへ留学している。留学の経緯は大学入学まで遡る事になるのだが、当時の私は第2志望の大学に進学することに何か漠然と後ろめたさがあった。このまま平凡に大学生活をスタートさせて良いものか自分なりに考え、その時は第1志望の大学に進学していたらやっていないであろうことにこの第2志望の大学でチャレンジすることを決めた。それが留学であった。
留学をすると決めたのは良かったが、大学入学時は全く英語ができなかった。それもそのはずで、そもそも国語と英語から逃げて理系に進んだ人間だったので周りに比べても英語のレベルは高くなかった。その自覚があったので大学入学後、直ぐに近所の英会話スクールに通うことに決めた。授業料はそこそこしたと思うが、将来への自分への投資だ!と即決した当時の自分は結構な行動力を持っていたなと思う。笑
高い授業料を払っていることもあり、真面目に英会話スクールに通った。その結果、TOEIC750点くらいは取れるようになった(その当時は生意気ながらもスピーキングもそこそこできている自信があった)。その時点(2年生の夏前頃)で、留学について具体的に考えるようになった。この頃は建築の講義や演習も本格的に始まっていたが自分に建築意匠(デザイン)のセンスがないことにいち早く気づいて、建築の勉強に身が入らなくなっていた。そのことも相まって、建築の勉強はそっちのけで留学について調べていた。
頑張って貯めた留学資金がそんなに多くないことや漠然とニューヨークへの憧れがあったことから、ニューヨーク州の現地大学の割と安価な2セメスター(約10か月)留学プログラムに決めた。プログラム内容としては、現地で英語を学びつつ、現地大学の一般授業も履修できるというものだった。
留学の時のことを詳細に書き出すと内容たっぷりになると思うので、今回は割愛するが、この留学経験を一言で表すなら「力不足」だと思う。楽しかった思い出も勿論あるが、全体的に自身の力不足を感じる留学だった。やはり言語の部分では渡米前に想像していた以上に力不足を感じる部分が多く、英語の授業はまだしも一般の授業はついていくのがやっとだった。特にグループワークやディスカッションは、正直ついていくことすらできていなかった。2セメスターの留学プログラムは一応修了することができたが、喜び以上に悔しさが残る留学だった。
日本への帰国、そして卒論
約10か月の留学を終え帰国した私は、大学へ復学した。留学の悔しさが残っていた私は留学生が多く所属している海外系の研究室への配属を希望した。希望どおりその研究室に所属することとなり、修士の留学生と一緒に研究を進めることとなった。研究内容は領域横断なもので、個人的には面白く感じていたが、周りの教授陣からの評判は良くなく、中間発表や本発表の時にも結構たたかれた。
加えて私は指導教官との相性がすこぶる悪かった。その教官は同期や先輩からの評判も良くなく、よく言えば熱血漢悪く言えばパワハラ教官のような人だった。特に留学帰りだった私への当たりは他の同期と比べても強く、私も結構強気態度を取っていたりしたので、関係はあまり良くなかった。その関係性もあって卒業論文の追い込み時期になるとノイローゼの様な感じになっていた。研究室に行けなかったりふさぎ込んでた時期もあったりしたので、その当時も適応障害になっていたのではないかと今更ながら思う。
卒論はその教官に対する反骨精神で、何とか乗り切った。今適応障害でダウンしている自分から見るとその当時の自分は凄かったと率直に思う。と同時につらい状況を乗り越えることができた経験は今の自分にとって少し自信になる。あの時頑張れたから今回も頑張れるといった単純なものではないが、乗り切った過去があるのは励みになった。また、1年間休学して留学したりと若さゆえなのか割と大胆な決断をしている自分も改めて知ることができた。
色々あっても最終的にはなんとかなるのだ。
そう思うと、心が少し軽くなった。