何が違う?「アート」と「デザイン」
私が通っているフィンランドのアアルト大学はデザイン、ビジネス、テックの3つの大学が統合してできた大学のため、デザイン専攻ではない領域の学生と話す機会が多くあります。その際に、日本人の学生からよく聞かれるのが「アートとデザインって何が違うんですか?」と言う質問です。確かに、デザインなどを学ばれていない方にとっては、同じ領域に感じられると思います。実際、アアルト大学でも学習領域の選択肢では「Art and Design」と一緒のグループになっています。しかし、アートとデザインは似て非なるもの、私の中では明確に区別しています。最近、その質問に答える際に、自分の中で整理したあるベン図を使いながら説明すると、伝わりやすいことがわかったので、今回改めて「アートとデザインは何が違うか?」と言うことについて、自分の考えをまとめてみることにしました。
※あくまでも私見のためアートやデザインの定義は人それぞれです。
1. 違いは「起点」、共通点は「カタチになること」
一般的に「アート」と聞くと絵画や音楽、いわゆる芸術作品などを思い浮かべ、「デザイン」と聞くと工業製品など大量生産されているものやウェブデザインなどのデジタルサービスをイメージするかもしれません。カテゴリーとしては間違ってはいないと思いますが、実際に自分で「アート」または「デザイン」を主体的に実施する場合に、頭の中で区別していないと混乱してしまうことがあります。わかりやすいように、まずは具体的な言葉で違いを並べてると以下のような図で整理ができます。
一番の違いは「起点」だと考えています。「アート」の起点は「自分」であり、「デザイン」の起点は「相手(物事を含む)」です。アートは主観的な思考(自分がどうしたいか)を持ち、偶然に身を任せ、自己表現するセンスが大きく影響します。一方、「デザイン」の起点は「自分」ではなく「相手」であるため自分の意思や意図は一時的に消し去り、相手が何を考えているかに意識を向ける必要があります。いわゆる「デザイン思考」の最初のフェーズが問題を発見するための「観察」から入っていることからわかるように、あくまでも根拠のある客観的な情報をもとに、論理的に組み立ていく作業がデザインです。そのため、デザインのプロセスを通じて導かれる答えは必然的であり、相手の抱えている問題を解決するための技術になります。
また、「デザインができる人はセンスがある人ですよね?」と言う質問もよく聞かれます。これもアートとデザインを混同してしまっている時に疑問に思うことで、簡単に言うと「センスがあるのではなく、物事の濃淡(違い)がわかる」だけだと思います。この話は、クリエイティブディレクターの水野学さんの著書「センスは知識からはじまる」に詳しく書かれていますので、興味があれば読んでみてください。
例えば、私の場合、野球の知識や経験がほとんどないため、プロ野球選手の違いについて詳しくありません。そのため、「ヒットを良く打っている選手はバッティングセンスが良い人ですよね?」と言う質問をしてしまうと思います。しかし、コーチや選手はもちろん、野球に詳しい方であれば「ストライクゾーン内の速球に対しては早いスイングを意識して、変化球に対してはわずかに溜めを作っている(←ChatGPTの回答)」など、かなり具体的な言葉になると思います。それは知識や経験があるからこそ、物事の濃淡(違い)を言語化することができるためです。それがわからない自分などはそれを表現する言葉が見つからないので「センスがいい」と言うざっくりした言葉になってしまうのだと思います。
このことから「デザインはセンスがある人ができるのではなく、デザインに関する知識と経験を積み重ねていくとその濃淡(違い)がわかるようになり、わからない人にとってセンスがあるように見える」と言うのが正確な回答かな、と思います。そのため、デザインを身につけるのに必要なのはセンスではなく、技術(知識と経験)です。ベン図からもわかるように起点が相手であり、客観的で必然、問題解決の思考を持っている人がデザイナーに向いていると言うことになります。これはビジネスやテクノロジーと同じサイクルであり、不足しているのは「技術」だけと言うこともあり、「デザイン思考」がそれらの分野で相性が良かったのはそのためではないでしょうか。最近、美大ではなく、総合大学出身でデザイナーになる方が多いのも納得できます(むしろその方が向いている?)。逆に、アートからビジネスへの転換は「起点」を変える(マインドを変える)と言う点で難易度が高いように思います。
また、アートとデザインの共通点としては「カタチになること(目に見えないサービスや制度もカタチに含む)」です。ここはわかりやすくもあり、混乱を生む部分かもしれません。ただ、起点が異なるので、プロセスも異なります。「デザイナー」と聞くとオシャレ?でアートに精通しているイメージを持たれる方もいると思いますが、思考プロセスを考えると自分の存在を消して相手を主人公として描くので、むしろその逆(シンプルで自己主張が少ない)であることが多いのではないでしょうか。その思考の影響かわかりませんが、デザイナーの服装は地味でシンプルなな人が多い気がします。
2. アートは0を定義し、デザインは0を1にする
もう少し詳しく掘り下げて、ビジネスにおいてのそれぞれの持つ力について考えていきたいと思います。私の考えでは、アートの持つ力は「『無』の状態から『0』を定義できること」だと思っています。問いを立てることができるとも言い換えられますが、他の人が何も思っていない(市場価値が低い)既存の物事に対して、自分の感性(センス)で「価値がある」と再定義できる力です。つまり、その価値の基準をつくることができるのがアートの最大の強みだと思っています。イノベーション関連の話が出る際の文脈ではよく「0→1」のようなトピックが出ますが、これはあくまで0(価値基準)が何かがわかっている状態でスタートしているので、いわゆる革新的な?アウトプットはこの時点で難しくなります。なぜなら、特にビジネスの文脈では、相手があっての仕事であり、その価値は顧客や市場が最終的に決めるからです。そのような意味で考えると、ビジネスの分野でのアーティストというのは、わかりやすくいうとスティーブ・ジョブスやイーロン・マスクなど企業の創業者で、今までにない価値観を自ら定義してビジネスを通じて表現してきた人などではないでしょうか。ちなみにこのような人たちのことを、私が好きな独立研究者の山口周氏は「クリティカル・ビジネスのアクティビスト」と呼んでいました。
一方、「デザイン」は「アートが定義した『0』を『1』にすることができる力」を持っていると考えています。0は何を掛けても0なので、ロジックで説明することが難しい(周りの人にとっては何がいいのかわからない)ことが少なくありません。それを言語化(または可視化)してロジックで第三者に伝えることができると「0」ではなくなります。そのため、ビジネスやテックの領域の人たちの架け橋になり、「1」を作り出すことが可能になる。それがデザインの持つ力の一つだと思います。それをどのように社会実装に繋げていくかはまた別記事で詳しく書こうと思います。
3. デザイン経営の本質は経営者の「右腕」
2018年に特許庁から「デザイン経営宣言」が発表されました。私もこの記事からとても多くのことを学んだと同時に、勇気をもらいました。ここでは「デザイン経営」の効果 = ブランド⼒向上 + イノベーション⼒向上 = 企業競争⼒の向上として書かれています。ただ、どの企業も競争力の向上を目指しているので、そのためにまずはブランド力とイノベーション力を上げよう→デザイナーに依頼、となってしまいがちですが、前述の山口周氏も話しているように「イノベーションを起こそうとして起きるわけではない」ので、それを目的にしないようにすることが必要です。イノベーションは顧客や市場からは最初の時点では価値がわからず、それとは関係なしに衝動(アート)からの出発点なので、デザインの価値を高めるのであれば、テクノロジーやビジネスの良し悪しよりも、むしろその起点(アート)が社会善(Common Good)であるか、倫理的に正しいか、という判断の方が重要ではないか、と思います。
そのため、デザイン経営でデザイナーにとって一番大切なことは、わかりやすいツールを作ることでもなく、見栄えを良くすることでもなく、経営者(起業家)の「右腕」になることだと思っています。つまり、デザイナーが経営者(起業家)のブレーンとなり、もう一つの脳みそとして、ひたすらその哲学や思想を自分の頭にコピーすることです。ヤンマーのクリエイティブディレクターを務めていた佐藤可士和氏は、ヤンマーのリブランディングを行う際にまずやったことは「山岡社長と1年間ランチをして話を聞くこと」だったそうです。昔のアップルのスティーブ・ジョブスとジョナサンアイブも同じ構図です。企業を法人(法に則った人格)と表現されることでわかるように、目には見えない人格があります。その人格に一番近いのが経営者(起業家)ではないでしょうか。
デザイナーは言語化・可視化する能力があり、考えに根拠があるので、アーティスト(経営者・起業家)の考えをロジックとカタチで第三者(執行部隊)に伝えることができます。私自身、長年経営企画部でコーポレートデザインに携わってきた経験から考えると、その有用性をとても実感しています。ただ、同じ「デザイン」の領域の人でもこのポジションにいる人は需要が多いのにも関わらず、供給が少ないようにも思えます。デザイン経営を実践するのであれば、ブランディングやイノベーション云々は一旦置いておいて、まずは経営者(起業家)を「アーティスト」だと考えて、その哲学や思想を理解することから出発する。それが、デザイン経営の一丁目一番地なのではないでしょうか。
4. 混ぜるな危険?
「アート」と「デザイン」の違いと共有点について話をしてきましたが、もう一つのポイントは「アート」と「デザイン」を混ぜて考えてはいけないということだと思っています。それは、起点が異なるため、誤ると心を荒むことにつながりかねないためです。少し、大きな話になってしまいますが、「人生」と「仕事」に当てはめるとわかりやすいかもしれません。大雑把に分けると、「人生」は自己表現のため「アート」であり、「仕事」は問題解決のため「デザイン」として考えることができます。これを逆にすると、自分の人生において何をどうするかを相手に聞くことになり、仕事においては自分のしたいことを優先してやるということになります。これが間違っているのは容易に判断ができます。
ただ、私が思う例外は、「経営者(起業家)」の場合は逆のサイクルが適しているのではないか、ということです。なぜなら、経営者にとって会社というのは自分の人生そのものであることがあるためです。こういう社会にしたい、こうありたい、という自分起点の発想やビジョンは「アート」です。人生で成し遂げたいことを「会社」という装置を使って実現しようとする営み、つまりその人のアイデンティティになります。ここを「デザイン」の発想でスタートすると、相手(この場合は時代や社会)は変化が激しいため、いったい自分(自社)は何のために存在しているかがわからなくなることに陥ってしまうと思っています。マーケティングからスタートするのも同じです。自分起点(アート)は北極星を持つのと同じなので、ブレません。
上記のことから、自分の人生を考える場合、大切なのは自分起点(アート)で、そして混ぜて考えないことが大切だと思います。アートやデザインという言葉の区別は分からなくても、「結局自分は何をしたいのか?」という問いを立てることが出発点。若くても心が荒んでい方がいる一方、高齢でも生き生きとしている方もいます。年齢ではなく、心の持ち方が大切。アメリカの実業家・詩人であるサミュエル・ウルマンの言葉が、この年になって改めて身に染みます。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
今回は「アート」と「デザイン」の違いを通じて、私自身の考えをまとめみました。最後に人生と仕事で例えましたが、結局は、自分が客観的にどう見られているかというよりも、自分自身がどう思うかが大切だと思うので、人生というのも自分の存在意義(アイデンティティ)の確認作業のようなものかもしれません。「人生の達人」と言われる方々は、皆同じような共通の発想を持っているような気がします。私もこれから少なくとも30年は働くことになるので、この点を大切にし、育てていきたいと改めて思いました。