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もう働けない 〜働かなきゃいけないの先にあるもの〜

休職し始めた時は仕事に行かない罪悪感でいっぱいになっていました。ただ身体はとても疲れていたので貪るように寝ました。1週間くらい寝込んでいるととても身体が楽になって元気が出てきました。医師からは「生活リズムを整えるように」ときつく言われていましたが、そのうち働いていない負い目から外に出られなくなり昼夜逆転の生活になります。

とにかく息苦しさから逃れたい一心でいざ仕事を辞めてドイツに飛び出してきた時、今度は健康保険、年金、住民税など今まで気にかけていなかった諸々の税について自分で工面していくことになり、自分を守っていた何かがなくなってしまうことを実感して不安になりました。

こちらにきてからは滑稽なことに昼間仕事に行かない自分を恥じていました。ドイツに滞在する条件として語学学校に通うことがあったので通いましたが、体調が優れず満足に通うことはできません。クラスメートや先生との絆が心の支えになりつつも労災申請の負担などで通学や勉学は依然として思うようにいきませんでした。

時間が経つと今度は時間とお金をかけて学んできたはずのことがきちんと身についておらず授業がだんだん負担になっていきます。「なんとかしなきゃ」と必死で勉強しますが急には身につきません。
新しい人生を歩むためにここに来たはずなのに日本と変わらずに何かに溺れて苦しみの中で生きていました。

「何かしなくちゃ」この想いを一度捨てないことにはいつまで経っても何も変わりません。私は身分を安定させるためにこちらで学生になれないか模索していましたが出願時期に身体が動かなくなるほど体調を崩し結局見送ってしまいました。
いつのまにか血糖値が失神寸前まで低く落ち込み甲状腺嚢胞ができてしまいました。
「見送り」は「何かしなくちゃ」という想いを捨てるよいきっかけだったと思います。

労災の書類がひと段落して体調も戻り始めた時今の自分の状態を踏まえた上で「これからどうしよう」と考えられるようになりました。
もう働く自信がありませんでした。だけど頭に浮かぶのはOLとして働く自分だけです。
精神障害者になってこのままもう働かずに生きていこうかとも思いました。いろんな制約があるけど働かなくて済むかもしれない。もう組織に属して生きていくことは到底無理だと思いました。体力も気力も自信がありません。

そんな自分に思わぬ視点をくれたのは幼馴染の友人でした。「OLが好きなの?何でも器用にこなすのだから大きな組織で働くより小さなところでオールマイティに働く方があってると思うよ」と言ってくれました。OL以外の働き方を私は思いつきませんでした。

またここベルリンでは自分のやり方で自己実現している人が多くいます。
古布を使って草履を作ることでアーティストビザを手に入れ滞在している人を知っています。在宅ライターとして仕事を得てフリーランスで滞在している人も知っています。
自分で何か始めようと思えばいつでも始められるものです。日本にいる時は思いつきませんでした。そして中高校生の時の大親友は「いつでも始められるし辞めたくなったらすぐ辞められるよ」とも言ってくれました。

なぜ会社に所属して嫌なことばかり下らない人間関係に神経をすり減らしてばかりでしかお金を稼ぐ方法ってないのでしょうか。
自分に合った無理のない生き方を、まず今の自分の状態を受け入れることから始めたいと思います。


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