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強制収容所より現代の日本を憂う~差別と暴力~

 パワハラに遭っていた時自分は収容所に入れられたユダヤ人のように感じていた。苦しくても逃げることができず、どう一日をやり過ごすか必死だった…そんな毎日を過ごしていた。実存心理学で有名なヴィクトール・フランクルの「夜と霧」を読み、収容所の日々を生き抜いた信念に自分の心を寄せていた。

パワハラ課長に裁きが下り彼が退職すると知った時、私は収容所から解放されたと思った。しかし、人事課の裏切りに遭い、私は申立人の咎を受け自分の所属する課を追われることとなった。送別会も開かれず追い出されるようにたった一人だけの窓際部署に追われた。収容所から出たと思ったら新たな牢獄へ入るようだった。これには耐えられなかった。私の心は死んだ。

フランクルが入っていた収容所はポーランドにあるかの有名なアウシュビッツビルゲナウの収容所だが、ベルリンにも中心部から電車で1時間ほどの場所にザクセンハウゼン強制収容所がある。
 精神的に優れない中人類の辛い過去に触れるのは危ない気もしたが、友人が一緒に来てくれるとのことで寒くなる前に行ってきた。

 オラニエンブルクの駅はとてもきれいで、収容所を見学する客が絶えなかった。駅から30分ほど歩いたところで収容所の入り口にたどり着く。入場料は無料。3€で英語かドイツ語の音声ガイドが借りられる。

「Arbeit macht frei」(労働は自由をもたらす)という有名な文句のある門をくぐり収容所内に入る。敷地は正三角形型をしていて塀で囲まれている。広大な敷地であるはずなのにこの塀のせいで閉塞感を感じる。多いときには7万人もの収容者がいたというこの収容所はいかに効率的に多くの人間を監視するかよく考えられて設計されているようだった。
中心には東ドイツ時代にソビエト連邦が建てたという記念碑が立っていた。ソ連のプロパガンダが収容所本来の姿を壊しているが今となってはそれもまた歴史の一部になっている。

この収容所は多くの反体制派の政治犯を収容していた。ついで敵国の捕虜、ユダヤ人など。
 牢獄、拷問に使われた杭、銃殺場、死体焼却施設、人体実験が行われていた施設。人類が行った圧倒的な暴力の痕跡。そしてその場に立つとその暴力が効率的に行えるように工夫がされているとわかる。暴力という無意識的な感情が理性を得て存在する場所が収容所だった。ただただ不気味で黙るしかなかった。収容者の狭い寝床、仕切りのないトイレ、小さい入浴施設。それは途方もない差別を存分に物語っていた。

 

悲劇の場所には哀悼の碑が掲げてあった。ポーランドやロシア、ドイツ政府のもの。同性愛者に対する哀悼。全ての人類に対する哀悼。過ちの跡を省みる。

 

収容所の門をくぐって外に出ると少しほっとした。今でこそ静かに穏やかに時が流れているが、ここは地獄だった。友人は「いつか自分たちも収容される立場になるかもしれない。生き残れるだろうか」と言っていた。また「社会にはいろんな立場の人がいるが我々はこれでもまだ恵まれた立場にいるのだろう」とも言っていた。

 技術の限りを尽くして合理的に振るわれる暴力は愚の極み。それがいつ自分に向くかわからない恐怖。何を根拠にして人は同じ人間を差別的に扱えるのか。

 今の日本につながる危うさがある。

 東京医大の女性差別の報道を聞いた時に感じた戦慄。組織的に行われていた差別。そしてそれは受験生だけではなく全ての女性に向けられていたからこそ、私を含め女性はぞっとしたしその暴力に対して怒りを覚えた。海を越えて世界が怒ったのも差別と暴力への抵抗からだろう。
 なぜこのような差別が存在してしまうのか。幹部はもちろんのこと、実際に差別入試を行った職員は何も感じなかったのだろうか。いったいどのような人間がこのような差別を行ったのだろう。過ちの跡を省みよう。学び考えることをやめては負の歴史を繰り返すことになる。

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