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「ワトソン君、そこのバイオリンをくれたまえ」

今年は天才女性指揮者(ちなみにゲイです)の映画が話題になりました。未見ですが主人公を演じたのは「タイタニック」のあの方ですね。海洋ロマンスどころか黒澤の「羅生門」みたいな話だとひとり密かに思っていますが。

クラシック音楽が題材の映画といえば、ダントツに面白かったのが「アマデウス」! 私はこれで音楽理論に目覚めました。モーツァルトが過労で倒れ、ベッドに横たわったまま、口述で作曲をしていくシーケンスは何度見てもしびれます。筆記役の方が「Gシャープ?」と確認するとモーが「もちろん」と答え、ふたりのあいだで音楽のキャッチボールが続き、やがて壮絶に美しいミサ曲が立ち上がってくる… 余談ですがあの曲はAマイナー調なので二人の会話も追いやすいです。ドミナント和音では G ではなく Gシャープが鳴る…おおハーモニックマイナースケール!ってね。

あの作曲工程は、本当はまがいものです。モーがあの曲を口述筆記させたのは実話ですが、あんなにドラマチックなものではなかったと思います。映画向けに盛り上げたものです。観客に「なるほど天才の作曲とはこういうものなのか…」と(うそんこなんだけど)納得させてしまうには劇的に効果的でした。

私は前に映画「ラストエンペラー」のエンディング・テーマ曲を、三か月かけて分析しました。現時点で世界最高の分析を成し遂げたと、今でも思っています。ただあれは私のモノローグなのですね。「アマデウス」のように、神童モーツァルトとそのライヴァル音楽家が音楽用語を介してある種のセッションをしていくようなスリリングさはないわけです。

似たようなスリリングさといえば、この映画がいつも脳裏をよぎります。



観客が「なんかようわからんがだんだん盛り上がっていくぞ、すごいもんに今立ちあっとるわわしら」と空気に吞まれていく、そういう坂本龍一楽曲分析ってできないものでしょうか。「彼の頭の中では、こうやって二つの人格が対話していて、そして曲ができあがっていくのかスゲー」と吞まれていくような、そういう分析エンタテインメント。

もやもや。


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