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祖父・蒼之助先生が、私の「戦メリ」随筆に目を通した時…

⇧ こんなのを数日前、若さゆえの勢いで一気に綴ったわけですが・・・

彼が最初に用意した和声進行の一部が、今の私たちが知っているものとは、違っていたことについても、しっかり分析しておきたいと思って、その概要を以下、だらだらと述べてみます。

あの旋律(の原型)の一周目では、和声進行はこうスケッチにあって…

Ⅳ→Ⅴ7→Ⅵⅿ

しかし二周目では、こんな風なのです。

Ⅳ→Ⅴ7→Ⅰ→Ⅵm

こ、この「Ⅰ」はなんだ!?

旋律「レミレラレ~、レミレミソミ、レミレドラ~」をここに重ね弾きしながら、私は目が点です。

いちおう破綻なく聞けるんですよ、和音構成音の縦の並びを工夫すれば。

しかし今の私たちが知っている「戦メリ」に比べると、ぎこちない。

おそらく作曲者もそう思ったのでしょう。当時のスケッチを見ていくと、旋律の一周目がハ長調で、少し違う風に綴られています。

締めが「レミレラド~」つまり今の私たちがなじんでいる、あの旋律になっているのです。

これで彼はきっと「よしこれならいける」と自信を抱き、最初に使った調(D♭長調)でもって旋律一周目、二周目とその和声進行、そして続く間奏部を楽譜にスケッチしています。

詳しい分析と解説については、後日行います。


句読点を、音楽で表現するには

句点(。)、読点(、)を小学一年生の国語で私たちは徹底的に叩きこまれます。

やがておとなのしょうせつをよんだりするうちに、三点リーダー(…)とか一本線(―—)とかの、余韻を表す記号を、真似して自分の作文に使うようになったりします。

「戦メリ」の最初期の旋律&和声進行のスケッチを、奏でてみると、彼が句読点やリーダーや一本線にあたるものを、音楽的に表そうと試行錯誤しているのが聞き取れます。

ハイクのリズム感が、あの旋律にはあります。5・7・5のリズム。

そこにさらに句点(。)とは違う、読点(、)とは近いがそうではない区切りを挿みたくなったのだなって、弾いてみて感じます。

彼のことを、ある親しいドラマーは「奇才」と評していました。

私の祖父も、奇才ということばがよく似合う、川柳作家でした。てにをはのニュアンスの違いに、非常に神経質なひとだったと、母は自分の、この気難しい父親について振り返っていました。

彼がどのくらいクラシック音楽を本当に理解していたか、今振り返るとかなり怪しいものですが、その姉はアマチュアヴァイオリニストでした。随筆として私がリューイチ音楽論を綴って、それをもし時をさかのぼって、生前の彼の目に触れるようにできたら、そしてあの曲を聴かせてあげたら、どう私のブツを読んでくれるのかな…

(三点リーダー⇧)


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