見出し画像

アインシュタインの原論文を読んでみよう(1916年 : 頭の中の消しゴム)

これまでポール・ディラックの論文を順に紹介してきました。ケンブリッジの孤高の天才変人ポールくんの、若き日の、とりわけ難解なものをです。

そのなかで何度か(これとかこれとか)言及されるのが、アインシュタインによる論文です。1916年のものですので、名高いあの一般相対性理論がモノになった翌年ですね。それもわずか二か月ほど後ですので、翌年というよりは同時期というべきでしょうか。

"Strahlungs-Emission und —Absorption nach der Quantentheorie"(量子論による放出と吸収)と題されたこの論文は、1916年1月17日受理。ドイツ語の原文を紹介したかったのですが検索しても無料公開されていないようなので、邦訳版を引用しながら論じていきます。『アインシュタイン選集』(監修はあの湯川秀樹!)の第一巻収録のものです。



「16年前にプランクが」で開幕です。1900年に彼が提唱した「光のエネルギーはどういうわけか不連続的である」という説について触れています。この説にそうと、エネルギーと光の強さの関係を、以下のシンプルな数式でグラフ化できるというものです。

この「プランク分布」と呼ばれる曲線について、語ると長くなるのでここでは省きます。ドイツは製鉄の国でしたので、鉄を作るにあたって、製鉄中のブツより放たれる光の強さから、ブツの温度が厳密にわかるようだと、製鉄産業にとって、そして国家全体にとってまことにありがたいわけです。それを成し遂げてくださったのがマックス・プランク教授でした。

20歳の頃のプランク


アルベルト・アインシュタインの論文に戻ります。アルくん、冒頭ページでマックスくんの論に触れた後、それがさまざまな努力にもかかわらず行き詰りをみせていると述べると、今度はニールス・ボーアの研究について言及しています。

「スペクトルについてのボーア理論」とあるのは、おそらく1913年公表の彼の一連の論文のことです。第一論文はこちら。ちなみに英語です。おっかなげですけど、イラストにするとこんな風。

高校物理の、教科書の終わりのほうに載っているアレです。原子ってこういう風に太陽系みたいな構造になってるんちゃうかという主張。この考え方でいけば、光のエネルギーが不連続(つまりとびとび)になるのをうまく説明できるし、観測データとも一致するということで、短期間で受け入れられた説です。(事実、ボーア先生はこの説が認められてノーベル賞を後に授けられています)

アルベルトくんの今回の論文は1916年、つまりニールス・ボーアくんのこの説が広く受け入れられた直後のものですね。1900年のプランクの説と、1913年のボーアの説を、うまくひとつにできれば、ご本人が1905年より提唱していた光量子説の心強い裏打ちになってくれる…そう考えたのだと思います。

彼の光量子説が、1905年に出たときは酷評どころか黙殺に近い扱いでした。プランクからして「あいつの相対論はなかなかのものだが光の研究はわけがわからん」と腐していたとかなんとか。しかしその後、いくつかの実験でアルの光量子説に有利な観測データが揃ってきたこと、さらにはそれらを元にアルくんがこの説をさらに磨き上げていって、それをもとに新たな予想を立てて、それがほかの方々による実験で確認されていったことで、自信を深めていったのが、ちょうどこの1916年の前後でした。前年(1915年)には一般相対性理論の方程式をとうとう完成させたりと、アルくん絶好調の頃です。

プランク、ボーア、そこにさらにボルツマン(という悲劇の科学者がいらっしゃいました)の式を突っ込んで、アルくんはとある面白い数式を捻りだしました。それを使って、こんな等式(赤で囲んだ式)を見出したのです。



ここまではよかったのですが、アルくんいきなりズルを仕掛けてきます。この等式の、赤で〇した以下の二つについて…

脳内で(そう、脳内で!)こんな風に消しゴムをかけて…


これをですね、彼がプランクの式、ボーアの式、ボルツマンの式をひとつに捻り上げたくだんの式にねじ込んで、ある極めて重要な等式を導出したのです。


これのどこがどういう風に極めて重要なのか、語ると果てしなく長い話になるので今はしませんが、当時の物理学者たち、それもカッティングエッジにキレッキレな方々のあいだで「うおーやってくれたぜアインシュタイン!」と驚愕されるような、そういうブツであったと思っていただければノリはつかめると思います。

しかるに当人はというと、それほどキレッキレでもノリノリでもなくて、論文終盤で「以上は複数の仮説に基づいて算出したものであり、どこまで正しいかは保証しがたい」の意の弁明を挿しこんでいます。


私にいわせればと、やはりこの(つまりアルくんの脳内にあったであろう)等式が変です。

アルくんの脳内等式


結論を先に言えば、これで正解です。ただ、正しいよんと示されるのはもっと後になってのことです。それもアルくんではなく、とあるインドの無名物理学者から届けられた、たった4ページの論文によってでした。


このいきさつについては、話すと長くなるので、後の機会に語るよマーティ!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?