「この院生はノーベル賞を授かる」とアインシュタインが評した論文(1924年)その11
その10からの続きです。今回で論文の第7節です。これを超えたら第8節で、その後が第9節で、さらに後に締めがきます。「分かりきったこというな」 ツッコミありがとうございますわざとボケてみました。
「VII. A new Explanation of Interference Fringes」というタイトルとともに、以下第7節です。スター・ウォーズのマーチを口ずさみながら読解してきましょう A New Hope!
「干渉縞について新解釈」と銘打って、ヤングの干渉実験について前節よりさらに踏み込んだ説を語ってきます。(前年1923年の第三論文も参照)
はっきりいって、分かりにくいです。行間を読んでいくしかありません。私なりの読みを、以下順に述べていくと…
前の第6節について解説したときは触れなかったのですが、この第6節でルイくんは、34年前つまり1890年になされた、ある光学的実験について触れています。ドイツのオットー・ウィーナー(ちなみにサイバネティックス理論のノーバート・ウィーナーとは国も時代も違います、別の方です別のウィーナー)による実験です。
鏡を床に置いて、つぎに薄くて透明な写真乾板を、下図のように斜めに置いて、そして真上から光を当ててみました。下に向かう光と、鏡に反射されて上に向かう光が、斜めの乾板上で干渉を起こして縞模様を描くのです。
下に向けての光の強さや、乾板の傾ける角度を、それぞれ少しずつ変化させて、どんな風に縞模様が変わっていくのかを、ウィーナーは記録していきました。
光の正体が電磁場であることは、この頃すでにはっきりしていました。電磁場が「電場」と「磁場」の山びこによって生ずる波であることも、です。
さらにこのウィーナーの実験によって、光の強さを規定するのは「電場」であって「磁場」ではないことが突き止められました。
数式でいうと、「電磁波」を保つ二つの場のうち「電場」のほうの波長を二乗したものが、この「電磁波」つまり「光」の強さに比例するというものです。(これの説明は数式をいろいろ使うのでここでは省きます) この頃は(そしてルイくんが独りで頑張っていた1923年時点においても)今でいう「量子力学」は生まれていないので、どうしてウィーナー実験のようになるのかを本当には誰もわからないでいましたが、とにかく実験データをもとにして光の強さを規定するのは「電場」であって「磁場」ではないことが突き止められたわけです。
ルイくん曰く「彼の実験で縞模様が乾板に生じる様って、ヤングの回折実験の縞模様と、同じ原理でないか?」「ぼくの『位相波』理論を当てはめれば、ウィーナーとヤングの実験を、同じ原理で説明できると、ぼくは思うんだ」。
このアナロジーには弱点もあります。本人もそこは自覚していました。電磁波は観測可能だが「位相波」は観測できない波だから、安易にアナロジーしてはいかんのとちゃうやろか、と。「そんなことはわかってるさ」とルイくん。「ぼくの「位相波」理論はむろん仮説だ、しかしウィーナーの実験に基づく電磁気学の理論と、実によく相似していると、ぼくには思えるんだが、そうは思わないか君たち?」("The last hypothesis is, in fact, quite analogous to that which is admitted by electromagnetic theory when it links intensity of disclosable light with the intensity of the resultant electric vector.")
残るは第8節。後は弁明と締めですので次回ぶんで実質的に本論文の読解は完了します。がんばっていきましょう!