君が代はC長調なのがG長調なのか
「君が代」論を続けるのだ。
皆さん起立、合唱。
♪ き~み~が~あ~よ~お~わ~ ♪
小澤征爾がヨーロッパで修行して、ベルリン・フィルかどこかの面々を引き連れて日本に凱旋したとき「君が代」の演奏の練習を楽団にさせたら「なんやねんこれわ」と不評だった…と彼の若き日の著作にちらっとあったのを覚えています。
いわゆるビートがおかしいんですよ。上の動画はシーケンサーに正確なビートというかBPMで演奏させたものです。正確だとおかしくなる。二小節ごとに呼吸というか間を置かないと「君が代」にならないの。
この旋律は雅楽の音階に基づいています。明治13年、宮内省雅楽課の林廣守(はやし・ひろもり)がこの旋律を選びました。『古今和歌集』にある歌を少しばかりいじったものに、この旋律が付けられたのです。
林は先祖代々の朝廷音楽家でした。明治2年、明治天皇の東京行幸に伴って東京に移り、宮内省雅楽局に配属。明治8年に西洋音楽の学習を命じられ、西洋音楽の理論と雅楽の融合に努力。
同局所属の雅楽者・奥好義(おくよしいさ)が旋律を作り、林がそれを新・君が代として提出したのが、今の君が代でした。
新とあるからには旧もありました。イギリス公使館の軍楽隊長ジョン・ウィリアム・フェントンが、同じ歌詞に旋律を付けたものです。これは評判が良くなくて、それで旋律を新たにしたのが、今の私たちの唄う「君が代」です。
覚えられないですよねこの旋律。実際、薩摩出身の楽団員たちも閉口したそうです。作曲者がイギリス人で、歌詞がよく分からず区切りもいいかげんなので歌いにくい。
それで、音節をわきまえて、かつ日本の音律にそったものが後日用意されました。「壱越調」(いちこつりょう)という音律です。西洋音楽でいうD長調…に近いものです。近いのであって別物ですが近いといえば近いです。
「レミソラシ」の五音階ですが…
上行:レ↗ミ↗ソ↗ラ↗ド↗レ
下行:レ↘シ↘ラ↘ソ↘ミ↘レ
「君が代」の旋律も、ほぼこの法則にそって作られています。ほぼと述べたのは、沿っていないところもあるからです。
♪ き~み~(レ↘ド)は上の法則からは逸れていますね。♪ い~し~(レ↘ド)もそうです。林がわざとそう手を入れたのでしょうか。
これにドイツ人音楽教師フランツ・エッケルトが和声をつけたのが、現在の「君が代」です。
これ実は少しばかり違います。私の判断で、もっと素朴なハーモニーにしたものです。旋律に長三度か短三度下のハーモニーをつけました。エッケルトもおそらくこういう風に和声を付けて、やがて三和音にしていったのだと想像します。
例外は「レ」(赤で表記)ぐらいです。
ドイツ人音楽家エッケルトも「レ」についてこういう風にハーモニーを付けていったと想像します。
私が考えるに、彼はどうやら、この旋律を「C長調のラドレミソ」と「G長調のラドレミソ」の混交体と解釈したようです。
そうだとすれば、エッケルトが「レ」(in C長調)に短三度下の音「シ」を付けなかった理由が説明できます。彼はこの「レ」を「ソ」(in G長調)と解釈して、ソ・シ・レ・ファ和音つまりドミナントセヴンス和音をあてがったのです。
C長調でいうと レ・ファ♯・ラ・ド和音。
ちなみに「レ」を「レ」のまま解釈して レ・ファ・ラ和音をあてがっている箇所もあります。「レ」へのハーモニーとして「シ」は断固使わない意思を感じます。
「ソ・シ・レ・ファ和音すなわちC長調におけるドミナントセヴンス和音は使わないぞ、使うとC長調の曲だって宣言するのと同じだから」と。
そんなこといったって、レ・ファ♯・ラ・ド和音は使ってはるやないですかえッケルト先生? これはG長調解釈でいけば ソ・シ・レ・ファ和音やからドミナントセヴンス和音やと思うんですけど。
「ナインナイン。これはダブルドミナント和音なのだよ。そういう体裁になっておるから本当のドミナントセブンス和音ではないのだキミぃ」
手抜き和声とか後世になって叩く声もありますが、私は手抜きとは考えません。これは考え抜かれた伴奏です。