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ホームズ、サカモト教授の暗号を解読す

前にこんな楽曲分析をアップしました。昨年(2023年)の7月19日ですね。

シャーロックになりきって、この難解な曲を鮮やかに解読してみせた昨年の自分の知性に酔ってしまいそうです。あまりに鮮やかなので昨日再読して眩暈がしてしまいました。

そこでもう少しわかりやすくしてみたいと思います。

こういう曲です。(厳密には曲の一部というべきですが)


ドレミを書き入れてみましょう。(赤は旋律音、青はそれ以外の音です)

いったいどういうロジックで、作曲者はこんなドレミを選んでいったのか、ある楽曲分析者が当人に訊ねたのですが「さあ…」だったそうです。

そこでこの楽譜を手に、私はロンドン・ベーカー街の221Bに足を運んで、かの天才の知恵を借りることにしました。

以下は彼との会話を、私が再現したものです。


「おおワトソンくん、少し見ないうちに太ったようだね」

そういう観察はいいから、ホームズ君どうかこの楽譜の謎を解いてくれたまえ。

「はは、よかろう。どれどれ…」


「うーん、これはヴァイオリンではなく鍵盤楽器で弾いてみないといけないね。あいにくこの事務所にはピアノは置いていないんだ」

そういうと思って、シンセキーボードを持ってきたよ。電池式だから、電源のないこの部屋でも音が出せる。


「うむむ、びみょーな代物ではあるが… 友の頼みだ、しかたない、弾いてみるか」


「・・・面白いね。この曲を作ったのは、日本の作曲家だってね」

日本人だ。トーキョー芸大の作曲科卒で、大学院でも学んでいたということで、大衆音楽家のあいだでは「教授」の名で通っているそうだ。

「教授か、いいね、まさか犯罪者じゃなかろうね」

そっちの教授じゃないよホームズ。

「そうかそれならいい。この曲はだね、普通の楽曲分析では解読できない。なぜならサカモト教授はそもそも、普通の音楽理論にそってはこの曲を作っていないだろうから」

するとどういう理論に基づいているのだろう。

「簡単さ。最初の小節から見ていこう。ここは ラ・シ・ド・レ・ミ・ファ の六音でできているね」


うむ。

「二つ目の小節は、ラ・シ・ド・レ・ミ・ファ♯ の六音だ」


ふむ。最初の小節が「ラ・シ・ド・レ・ミ・ファ」で、この二つ目の小節が「ラ・シ・ド・レ・ミ・ファ♯」つまり「ファ」が「ファ♯」に取り替わっているわけだね。

「しかしどちらもラから始まる六音音列であることに変わりはない」


「三つ目はどうかな。ラ・シ・ド・レ・ファ・ソ の六音でできているのがわかるね


「ここが面白いんだワトソン。ド♯・レ・ミ・ファ・ソ♯・シ


よくわからない音列だホームズ。

「そんなことはないよ、ぼくにはすぐピンときた。後で説明する」


「五つ目の小節は ラ・シ・ド・レ・ミ・ソ♯ で構成されている」


「そして最後の小節で ラ・シ・ド・レ・ミ


「つまりこの六小節は、それぞれ以下の音列でできている」

  1. ラ・シ・ド・レ・ミ・ファ

  2. ラ・シ・ド・レ・ミ・ファ♯

  3. ラ・シ・ド・レ・ファ・ソ

  4. ド♯・レ・ミ・ファ・ソ♯・シ

  5. ラ・シ・ド・レ・ミ・ソ♯ 

  6. ラ・シ・ド・レ・ミ

「どう解釈するねワトソン」

・・・さっぱりわからない。

「そうか。実際に弾いてみよう」


よけいわからないよホームズ。

「音だけだとそうだろうね。しかし音列として眺めると、ピンとくる」

  1. ラ・シ・ド・レ・ミ・ファ

  2. ラ・シ・ド・レ・ミ・ファ♯

  3. ラ・シ・ド・レ・ファ・ソ

  4. ド♯・レ・ミ・ファ・ソ♯・シ

  5. ラ・シ・ド・レ・ミ・ソ♯ 

  6. ラ・シ・ド・レ・ミ

うーん、やはりぼくにはわからないよホームズ。

「よく見てごらん。何か七つの音列があって、そこからある法則にそって音がひとつ外されているのだよ」

法則?

「そうさワトソンくん、『ド・ミ・ソ』の和音だよ。この和音がけして生じないよう、作曲者は慎重に音を抜いているんだ」


「見たまえ。ラ・シ・ド・レ・ミ・ファ の音列にもし『』があったら…」


ド・ミ・ソ の和音が生じてしまう。それで『』は外されているのだよ」

どうして「ド・ミ・ソ」があってはいけないんだねホームズ?

「安定してしまうからだよ。この曲は動乱の幕開けを歌っているのだから、ヒーロー色の強い ド・ミ・ソ の和音はむしろ避けるが吉だ。主人公・溥儀はヒーローになれずに生涯を終える、そういう運命の男であるし」


「見てごらん。ここは ラ・シ・ド・レ・ミ・ファ♯ だね。やはり ド・ミ・ソ の和音が生まれないよう、 が外されている」

ホームズ君、ファ ではなく ファ♯ が鳴る理由がわからないんだが…

「ああ、この六音音列は ラ で始まる旋律的短音階と考えればいいんだ。そしてこの音階から ソ♯ が外されているわけだよ」


旋律的短音階というと…ああこれのことだねホームズ。

ラ シ ド レ ミ ファ♯ ソ♯


だがサカモト教授は、この音階から ファ♯ ではなく ソ♯ を外したのはどうしてだろう?

「ふふ、理論上は ファ♯ を外してもよかったのだが、ソ♯ はもう少し後の小節(第五小節)で使いたいということで、この小節では使わないでいるんだよ」


「続くこの小節は ラ・シ・ド・レ・ファ・ソ だね。ソ に代わって を抜くことで ド・ミ・ソ の和音が生まれないようにしている」


「ここが面白いんだワトソン。ド♯・レ・ミ・ファ・ソ♯・シ

よくわからない音列だホームズくん。

「いやいやそんなことはないよ。もし が混じっていたら ラ・ド♯・ミ となって、これは ド・ミ・ソ 和音と同じになってしまうね」



うーん、ラ・シ・ド♯・レ・ミ・ファ・ソ♯ の七音音列から を外したものだと?

「そう思うね」

ホームズ君、その説が正しいとして、そもそもその ラ・シ・ド♯・レ・ミ・ファ・ソ♯ の七音音列は何なんだろう。見た目は ラ の和声的短音階

ラ・シ・・レ・ミ・ファ・ソ♯

と似ているが、これは ド♯ ではなく だし…

「ふふ、ぼくだって知らないよこんな ラ・シ・ド♯・レ・ミ・ファ・ソ♯ 音階。想像するに、和声的短音階

ラ・シ・・レ・ミ・ファ・ソ♯

「…の を半音上げて

ラ・シ・ド♯・レ・ミ・ファ・ソ♯

「…と、長音階寄りの音階にしたものから、ラ を抜いて六音音列にしたものだ、こんな風に。

シ・ド♯・レ・ミ・ファ・ソ♯


どうしてそうだと判断できるのだねホームズ?

「見ればわかるよ。ラ を残したままだと ラ・ド♯・ミ の和音が生じてしまう。これは ド・ミ・ソ の和音と同じものだ。そういう和音が生じないようにするには ラ を抜くのが一番手っ取り早い」

ああ、いわれてみれば…

「さらにだねワトソン君、ソ が ソ♯ になっているおかげで、この音列からは ソ・シ・レ の和音が生じない。この和音は ド・ミ・ソ の和音と同じものだから、作曲者にすれば好ましくないだろう。この六音音列 シ・ド♯・レ・ミ・ファ・ソ♯ は、ド・ミ・ソ和音をけして生成しないということで、とても都合がいいのだ」


…まってくれホームズ、ソ・シ・レ の和音ならひとつ前の小節での音列ですでに現れてはいなかったか?

「ああここかねワトソンくん。なるほど ラ・シ・ド・レ・ファ・ソ だから ソ・シ・レ の三音が揃ってはいるね。だが…」

ラ  シ  ド  レ *ファ* ソ


ファ の音があるね。これがもし ファ♯ であれば、ここの ソ・シ・レ の三音は ド・ミ・ソ の和音そのものとなるが、ファ♯ ではなく ファ が鳴っているので、この転調解釈は × となる」


うーん…まったホームズ、ここは ド♯・レ・ミ・ファ・ソ♯・シ だから、ミ・ソ♯・シ がそのまま ド・ミ・ソ の和音とはならないか?

「はは、コツがつかめてきたようだねワトソンくん。だがその推理は却下だ。その説が成り立つには ではなく レ♯ でないといけないからね」


そういえばここも「ド・ミ・ソ」和音も「ソ・シ・レ」和音も成り立たない音列だねホームズくん。ラ・シ・ド・レ・ミ・ソ♯ だから。

ラ・シ・ド・レ・ミ・ソ♯


この音列は、第二小節と同じく旋律的短音階「ラ・シ・ド・レ・ミ・ファ♯・ソ♯」が基本になっているね?

「その解釈でいいよ。先ほど述べたように、第二小節ではその短音階から ソ♯ が外されていたが、この第五小節では ファ♯ のほうが外されている」


ホームズ君、それはいいかえれば、第二小節では ファ♯ のほうが選ばれていて…

ラ シ ド レ ミ 「ファ♯」


この第五小節では ソ♯ が選ばれているということだね?

ラ シ ド レ ミ 「ソ♯」


「その理解であっているよワトソン。補足するとこの小節では、『ド・ミ・ソ』や『ソ・シ・レ』の代わりに ミ・ソ♯・シ・レ 和音の音が揃っているともいえる」

ラ  *シ*  ド  *レ*  *ミ*  *ソ♯*

シ、レ、ミ、ソ♯ を並び替えると ミ・ソ♯・シ・レ だ。これはマイナー調におけるドミナント和音の音だ」

ああ、なるほど!


「実際には ミ・ソ♯・シ・レ は、同時ではなく、ややバラけて鳴るのでドミナント・モーションと呼べるような推進力が強くは感じられない…」

「しかし続く小節、すなわち下にある緑で括った小節への推進力はそれなりに感じられる」

ラ・シ・ド・レ・ミ


この小節の構成音は ラ・シ・ド・レ・ミ の五つだねホームズくん。

「左様、ワトソンくん。ラ・ド・ミ 和音がここに隠れているのだ。ひとつ前の小節に ミ・ソ♯・シ・レ 和音がそっと置かれていて…」


それがこの小節で ラ・ド・ミ 和音に解決しているのだという解釈は十分いけるとぼくは思うね」


そういえばもうひとつ疑問があるんだホームズ。「ファ・ラ・ド」和音についてはこのなかに出てこないわけではないよね。この最初の小節にはいちおう「ファ・ラ・ド」和音の構成音が三つともそろっているのだが…


「ああ、出てくるね。しかしこれは ド・ミ・ソ 和音とは見なされない。なぜなら の音が出てくるからね。もしこの小節にある ファ・ラ・ド の組み合わせを ド・ミ・ソ とみなすならば、 の音は シ♯ でないとおかしくなる」

*ラ*  シ  *ド*  レ  *ミ*  ファ


うーん見事な分析だよホームズくん、だが腑に落ちないことがある。果たしてサカモト教授はそこまで本当に考えてこの曲のこのセクションを作曲したのだろうか? こんな高度な計算が事前にできるとは、ぼくにはとても思えないのだが。

「そんなことはないよ。彼は優れたピアニストだったそうじゃないか。彼より演奏の上手なものなら大勢いたが、教授にとって鍵盤楽器の演奏とは、喩えるならばそろばんの珠(たま)をはじくようなものだったんじゃないかな」

「そのつもりでこの楽譜をゆっくり鍵盤楽器で弾いてみたまえ。ぼくはヴァイオリン派だからピアノはあまりうまく弾けないが、それでも教授の指先が、鍵盤楽器というそろばんをはじきながら、これを書き上げたのが、わかる気がする」


シャーロックの天才的分析力と洞察力に、どうか皆さん驚嘆してください。

続くよ ⇩

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