アインシュタイン(満26歳)のノーベル賞論文は穴だらけ - Part Four
論文の第3節を、今回は読みこんでいきましょう。
第2節でアルくんは、マックス・プランクによる画期的な公式を肯定しつつも、その解釈については賛同しがたい旨、ねじれた理屈で述べています。
精一杯わかりやすく説明したと思っていますが、わかりやすい説明になっていたでしょうか?なっていますよね、なっていますよ、そう思っていただきながら続く第3節についてご説明いたします。
以下の緑マーキング部分に「W. Wien」とあるのがわかるでしょうか。
Wilhelm Wien(ウィルヘルム・ヴィーン)のことです。
日本語の文献では「ウィーン」と表記されるのが常ですがドイツ語読みではヴィーンです、ちなみにオーストリアの首都ウィーンと同じ綴りです。英語読みだと「ヴィアナ」かな。私はそのときの気分で彼の名を「ウィーン」とか「ヴィーン」とか呼んでいます。"ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い" です。
この方についてはこれまで何度か触れてきました。「ウィーンの公式」を提示した方だって。彼の公式は、根拠あいまいな仮説に基づいてながら、実際の観測データに(一部区画についてはともかく)よく沿ったものでした。
彼の論文で画期となったのは、1893年と1896年にそれぞれ発表された二つです。「ウィーンの公式」は後者で出てきます。
ある大胆というか無茶な仮定から導出された式です。1900年になって、レイリーという大御所的学者さんから「実に怪しげな仮定に基づく公式である」と名指しで批判されたのですが、そう批判したレイリー卿が代わりに提示した「レイリーの公式」はというと…
緑の線がレイリー卿の(式をジーンズという方が補正した)もので、青紫のがウィーン教授のもの。赤い曲線が、実際の観測データ。
見ての通りです。レイリー卿(緑の曲線)のは「0」から少しのあいだは実際のデータ(赤の曲線)とよくなじむのですが、だんだん天に舞い上がっていって、戻ってこないのです。
どう見てもウィーン(青紫)のほうが精度いいですよね。それでいて、ウィーン公式は前提となる仮説が、どうも弱いのです。
ただ私、1896年のウィーン論文を読んでみました。「弱い」というほど論拠あいまいには思えませんでした。
後日また論じますが、エントロピーの考え方をもとに、ウィーン教授はほかの方より「あいまいな仮定」と後日批判されたものを提唱しているのです。
アルベルトくんもどうやら私と同じように考えたようです。この第3節で、ウィーン仮説についておさらい的な論述をしています。ここがおかしいとかいちゃもんをつけるのではなく、おさらいの体裁を保ちながら、そこにもうひとつ、アルくんの新仮説を載せてくるのです。
ごっついドイツ語ですねん。日本語にしてみます。
皆さんが読まれても、よくわかんないと思います。当時この論文を読んだ物理学者たちもよくわからなかったと思います。これ、気体分子運動論のアナロジーで以後議論するよって宣言です。
はっきりいえば唐突です。この唐突さを気にしてか、脚注で「この仮説に固執するつもりはない。今後実験によってこの仮説が否定されることもあるいはあるかもしれない。しかしそうでないかぎりはこの仮説で通すつもりだ」と防御シールドを張っていらっしゃいます。
ウィーンの説がそもそも気体分子運動論のアナロジーでできたものでした。「彼とは少し違うやり方で、気体分子運動論のアナロジーをわしはこれからやってみようと思うねん」と、アルくん(26歳)からの宣言だと思えばいいです。
次に、こんな数式を彼は出してきます。
「S」とあるのはエントロピーのことです。この概念じたいは、この頃すでに広く受け入れられたもので、そしていうまでもないことですがこの概念の提唱者はアルベルトくんではなく、クラウジウスやボルツマンやマクスウェルといった19世紀後半の大巨人たちの知的格闘のなかより形になったものです。
ここで先ほどご紹介した、以下の仮定を思い出してください。
「ウィーンとは少々違う風に、気体分子運動論のアナロジーで光を論じてみたい」宣言です。この宣言というか仮定にですね、くだんの数式 −−
これを放り込んで、式変形していくと、こんなのがでてきます。
これを見せつけながらアルくんは啖呵を切ってきます。「見よ、黒体輻射の式がちゃんと出てくるぞよ」
黒体輻射とは何であるかというと… 提唱者はキルヒホフという偉い学者さんで、この説をもとにしてウィーン先生は「ウィーンの公式」を導出したという歴史的いきさつが頭に入っていればよろしい。
アルベルトくんがこの第3節で述べているのは、「ウィーン公式は、キルヒホフの研究を元に、さらにある曖昧な前提を置いて導出されているから、ここは発想を変えて、少し違う前提で論じなおしてみたい。そうすればもう少し様になるんやなかろうか」ってことです。
そしてここでいう「少し違う前提」で再解釈すると、ちゃんとキルヒホフの黒体輻射の式がでてくるぞ、どうだお前ら参ったか、この「前提」は現時点では仮説でしかないが、極めて有力な仮説なんだぞちくしょうと、雄叫んでいるのです。
この後、続く第4節で、この仮説を使って毛色の変わったエントロピー論を彼は繰り広げます。
予告も兼ねて論評すると、かなりわかりにくいです。まわりくどい議論に彼は進んでいきます。
しかし彼のねらいがつかめれば、このまわりくどいくてわかりにくい議論も、それほどわかりにくいものではないとわかります。
以上、少しばかり皆様の気を引き締めるような前振りをしつつ、いつもの決め台詞いきます。