アインシュタイン(23.9歳)の論文を読んでみよう
今回取り上げるのは、1903年1月に投稿して受理された論文です。
“Eine Theorie der Grundlagen der Thermodynamik"(熱力学の基礎理論)といいます。アルくんは3月生まれなので、当時23歳でした。
エントロピーについて前年の論文で、すでになかなか味な議論を繰り広げていました。アメリカの巨匠ギブズとほとんど同時に同じ結論をもっとわかりやすいスマートなやり方で出していた事実ひとつで驚愕ものですが、もっとびっくりなのは、その出発点となったボルツマンの研究を、当時のアルくんはどうやら知らないでギブズと同じ高みに達していたことです。つまりおよそ34年遅れで、独りで再発見していたことになります。
もっと驚愕させられるのは、ボルツマンの数少ない理解者であったマクスウェルの研究も、無名時代のアルくんはあまり詳しくは知らなかった節があることです。しばしば「相対性理論はマクスウェル電磁気学を出発点として生まれた」と相対論解説書では解説されているのですが、ご本人にいわせると「あんまり影響されていない」でした。「むしろマッハの著作を学生時代に何度も読み返した」と。
マッハというのはあのマッハのことです。飛行機の速さのあのマッハのマッハです。トッカータとフーガの作曲者ではありませんあれはバッハです。マッハの著作というのは "Die Mechanik in ihrer Entwicklung, historisch-kritisch dargestellt"(邦訳タイトル『マッハ力学史』)のことです。日本語版がちくま学芸文庫で読めます。このなかに「相対性」と「思考実験」の思想が出てきます。学生時代のアルくんこれにどはまりして、その後ずっと己の研究理念としたのでした。
話が逸れたので戻します。1903年1月、当時23歳のアルくんの論文“Eine Theorie der Grundlagen der Thermodynamik"(熱力学の基礎理論)は、エントロピーを主題としています。
エントロピー論はすでにボルツマンによって高度な数学にすでに高められていたわけですが、彼やそのよき理解者マクスウェルはあくまで気体それも「理想気体」と呼ばれる仮想的気体について、気体分子運動論を繰り広げ、エントロピー論もその土俵内で繰り広げていました。
23歳のアルくんはというと、前年にすでにマクスウェルもボルツマンも、さらにはギブズすらも出し抜く離れ業を独りで成し遂げていた、その勢いにのって、気体に限定しない、すなわち気体分子運動論の枠を超えていく、それはつまり力学のカテゴリーを超越する、本格的なエントロピー論に突入します。
エントロピーの法則は、以下三つの条件があれば成立する -- そう切り出したのです。
① 因果律の微分方程式
② 充分に長い時間をかけて孤立放置すれば定常状態になる系
③ エネルギー保存則
前年の論文で提示した数式は、以上三つの条件がそろえば成り立つ、すなわちこれ以外のものがなくてもエントロピー法則は成り立つわけだから、気体分子に限らず、この世のいろいろについてエントロピーで考えることができますよーという主張です。
この2年後にアルくんが「光の正体は電磁波だってマクスウェルのだんなは言うてはったけど、本当は波ではなくて、粒子なんちゃう?」といきなり言い出して、まわりから「あいつ気が狂った」とまで言われたとか言われなかったとかという話は、これまで何度かしてきました。その16年後にノーベル物理学賞をこの研究で授与されることになるとは、ご本人も想像していなかったと想像しますが、それはまた別の機会に論じます。この「光量子」説は、1905年当時の物理学界においては突拍子もないものであったわけですが、アルにすればその2年前つまり今回取り上げ中の論文(1903年)のなかで主張する「①②③の三つがあればエントロピー法則は成り立つ」というアイディアを光に当てはめれば、光を気体分子と同じくエントロピーの視点から論ずることが可能になる → 光って気体分子のような粒子なんちゃうか? とごくステップバイステップな発想より生まれいでし主張だったように、私には思えるのです。
話が先走ってしまいました1903年1月の論文に戻ります。エントロピーについて、気体分子という枠を超えるための三条件を彼は提示したわけですが、この三条件を受け入れれば、今度はエントロピーを力学の考え方でうまく説明できると主張したのです。
お湯に浸かれば、ああぬくいぬくいと気持ちいい状態になります。科学的には前者を「熱浴」、後者を「熱平衡」といいます。むちゃくちゃ感覚的な表現で恐縮ですがそういうものだと思ってやってください。
アルくん、この「ああぬくいぬくい」(熱平衡)について、こんな風に分類します。「ぬくいぬくいは、お湯の入っている岩場と、実際にお湯に浸かっている者の、二つによって成立する」 あったりまえやないけとツッコミを入れた方はどうか自分の短絡阿呆ぶりを猛反省していただきたいです。この二つ目のほうこそがエントロピーの正体であると、彼は言い切るのです。
厳密な説明は省きますが、この「ぬくいぬくい」状態にある人体の、全細胞のエネルギーの平均値をですね、お湯の温度で微分すると、なんとなんと熱力学第二法則が定めるところの完全微分の形式になるのです!
…すみません今の話は少しホラが混じっているので訂正します。「ぬくいぬくい状態の人体の全細胞」というのがホラで、本当は「全分子の運動エネルギー」です。これの平均値をお湯の温度で微分すると、熱力学でいうところのエントロピーの式になってくれるのです。
気体分子運動論という、力学まるだしな考え方を一度棚に置いて、数式による抽象化でマネーロンダリングした後、くるんと力学の世界に戻ってみせる、この手際の良さ。
…すみませんまたちょっとだけ話を面白くしてしまいました。以上の洞察は、今回取り上げ中の論文(1903年)ではなく、その前年の論文ですでに提示されていたものです。今回検証しているものは、このアイディアの発展です。喩えるならば「細胞」とでも呼ぶべきものを、物理計算を行うとき重宝する「相空間」に持ち込んで、このアイディアにそって計算すると、今日「ボルツマンの式」と呼ばれるものが出てくるのです。
S= k logW
「ボルツマンの式」と呼ばれるくらいだからボルツマンが提唱したのだろうと今日では誰も疑っていないようですが、ボルツマンが提唱した式(1877年)には実は「k」がないのです。付けたのはアルくんです。「これを付けると、気体以外にもエントロピーの法則を当てはめて数式化できるんやで」とドヤ顔したかどうかは存じませんが、もし私が当時の彼だったらこれでもかとドヤ顔したと思います。
面白い裏話があります。ボルツマンは講演上手だったのですが文才には欠けていて論文を読んでもいったい何を言っているのかわからない、そういう方だったこともあっていろいろ論敵も作ってしまいました。そのひとりエルンスト・マッハは彼の分子論をこれでもかと攻撃を繰り返し、そのせいかどうかはわかりませんがボルやんは1906年に自殺してしまいました。これがお墓です。
彼のどたまの上のほうに、何か彫り込まれています。「S= k logW」と。
彼の分子論は正しかったという宣言です。しかし「k」はボルやんではなく、アルくんが1903年になって付けたものなので、こうやってボルの墓石に彫り込まれるのは本当は少しばかりやりすぎなのです。
皮肉な話です。若き日のアインシュタインが繰り返し読んだ著作の著者が、彼の偉大な先輩といっていい人物の研究を、頭ごなしに否定し続けていたのだから。
そういえばマッハは後に相対性理論が出てきたときも否定的でした。『マッハ力学史』のちくま学芸文庫版には、そのあたりのことを論じた巻末解説があるので、興味のある方は読んで損なしでございます。
次回、1904年論文につづく!