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「認知症対応型デイサービス」とは①

何度も書いているが、私はガッツリ介護に関わったことはない、全てが介護の支援というか本人の意思確認の支援というか、まあ簡単に言えばお手伝い程度だ。そんな私が認知症云々と偉そうにしゃべるな!とは自分が時折感じていたことで、色々一段落したところで、やっぱりもう少し実感として知ることがあるのじゃないか、と思ったのがボランティアを考える始まりだった。だから、資格試験の勉強をしている時から、これが終わったら何かしらのボランティアでデイサービスというものに入ってみようと思っていたのだ。
正確には、その資格試験勉強中にも声掛けをしたところはあるのだけれど、私を知っている人、ではなくて私を全く知らない場で動く方が良いかも…と思い、そこの声掛けを中止して、今回の場を選んだのだ。
医療機関の付属的な事業所、まあそんな程度のざっくりとした説明で勘弁してほしいが、そこでのボランティアがスタートした。

真っ先に気づいたこと、それは知識として知っていたことの再確認的なことばかりだけれど、日常の生活習慣を続けていくこと、うがい、手洗い、食後の歯磨き、休憩時間もありつつ、脳トレ的時間もガッツリとあり、昼食の準備は皆で役割分担をして、作り、食べ、片づける。
あ~日常生活って生きる基本としてできることがとても大事なのだと、自分を振り返る。休日になれば日がなパジャマでゴロゴロなどということはやっぱりNGなのだろう。

話が逸れた、朝はそれぞれのご機嫌伺いから始まり、今日は何日?といった問いかけがあり、その日の当番!を決める。うむ?これは就労支援B型事業所も同様だったな、と思い出す。
多分決まり文句があるのだろう、号令をかけて始める昼食の準備作業。担当分けには当たり前だが職員も加わり、テーブルにはいくつもの材料と道具が置かれ、サポートを受けながらも肉を切ったり、野菜を刻んだり、水洗いしたりと、にぎやか且つ慌ただしい。できることは任せる、見守りつつ声をかける、ひとつひとつの作業を確認しながら、進めていく。

と、一段落すれば、既に今行った作業の意味は忘れていたりする。それもまたよくあることなのだろう、繰り返し繰り返し伝えていく。
最後には、思いのほか豪華な昼食がテーブルに並ぶわけで、それを見てまた利用者さんたちは誰が作ったのだろうか…という微かな疑問を持ちつつもにこやかに席に付き、食事が始まるのだ。
このご時世、黙食!は必須、ここが普通の食堂などとは違うところだ。静かにゆっくりと食事が進み、ほぼ皆完食、、、結構体も使って脳も使っているからかお腹が空いていたのだろう。職員も同様のものを食べるが結構ボリュームがある。こちらも肉体労働系であることを実感する。
ボランティアの私は、といえば利用者さんと一緒に静かに食べ、終わった後は片づける。食器を拭くこともテーブルをキレイにすることも利用者さんの役割、最終確認をし、片づけることはするけれど、ここでもまた日常の習慣、流れを忘れさせないようにしているのだろう。

午後のひとときは自由時間らしいが、静かなものだ。テレビを置いていないから無駄な音はない。その代り静かにBGMが流れていた。

今日のところは昼食までの流れを少し書いてみた。思っていたよりもずっと平穏な日常に肩透かしのような気持ちにもなるが、それは利用者さん自身がこの場の意味を覚えている、もしくは安心できる場として理解している、そのことが大きいのだろうと思う。

今日はこの辺で、次回は午後から夕刻までのことを書いてみる予定だ。こちらの方がちょっと考える場面があったりして…


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