低密度な絵画:スカスカな画面が新しいトレンド?
ここ数年は、余白だらけのスカスカな絵画が具象・抽象問わず世界中で流行しているようだ。ここでは仮にスパース・ペインティング(Sparse:まばらな、希薄な)とでも呼んでおこう。なぜこんなに適当なのに評価され、また実際に良い絵だと感じてしまうのか?まずはほとんどのスパース・ペインティングに共通する構造的な特徴から考えていきたい。
フレーミングが生み出す自由度
エッジを塗ったりシンプルな木枠を取り付けるなどしてフレーミングされた画面の中に、乱雑な線が少しだけ描かれている。これがスパース・ペインティングの典型的な形式だ。画面に何も描かれていなくても、枠が描かれていると視線は画面の中に集中してしまうものだ。その視覚効果は、Robert Ryman、Mark Rothko 、Josef Albers、Jo Baerといったカラーフィールド・ペインティングの画家やミニマリストによって探究されてきた。だが近年の絵画ではそのフレームの中に、落書き線・文字・コラージュなど、様々なユルい要素が乱雑に描かれるようになった。フレーミングの時点で絵画としてほぼ成立しているので、その内側には何を描いても構わない、というかほとんど何も描かなくて良い、という汎用性の高い手法として広まったのだ。
脱技巧化の最先端
スパース・ペインティングは近代絵画から抽象絵画へ繋がる伝統のひとつ、脱技巧化(de-skilling)の最新版だと言える。絵画の本質は何か?という永い探究の過程で、あらゆる余分な要素が切り捨てられていった引き算の歴史である。ミニマリズムはその終着点であり、極めて単純な要素だけで絵画を成立させる方法がいくつも試された。フレーミング効果の研究もそのひとつだ。
だが2000年代周辺で、ミニマリズムの絵画制作理論はアンディ・ウォーホルの絵画制作理論と合流する。ウォーホルはシルクスクリーンを使い、残酷な事故写真、有名人の肖像から無意味な影まで、どんな写真を使っても絵画を生み出せる技法を開発した。同様に偶然性を活かした抽象絵画も制作しており、彼は絵を描くというよりも、工場長のような視点から絵画制作手法を作っていく作家であった。ミニマリズムが理論を極めて絵画構造を最少化したのに対して、ウォーホルは合理性を極めて制作の手間とコストを最少化したのだ。
この2つの最少化・合理化が組み合わさって生まれた超効率主義の絵画が、2000年代後半から2010年代半ばまで流行したプロセス・ベースド・ペインティング(制作手法重視の絵画)、いわゆるゾンビ・フォーマリズムだ。若手の抽象画家たちが数十年前に流行ったオールオーバーな抽象画に似た絵画を乱雑な塗りと効率的な技法で大量生産したため、ゾンビが墓場からゾロゾロと這い出てきたようだ、とそう呼ばれるようになった。ゾンビ・フォーマリズムと見なされた画家には既存のアイデアを掛け合わせた作品を作っていただけの者も多く、その評価は一過性のものでしかなかったが、彼らと同類扱いを受けながらも実際にはしっかりと新しい絵画の形式を研究していた画家達はいた。そんな彼らが発展させたのが、いわゆるスパース・ペインティング的な絵画だ。
厳密な引き算から自由な足し算へ
注目すべきは、絵画制作の思考のベクトルが変わった点だ。ミニマリズムでは絵画の本質を明らかにするためにノイズが徹底的に除去され、潔癖症気味に純粋化された。一方でスパース・ペインティングは真逆の発想で、自由かつ適当に描いても良い絵画を制作できるか?という挑戦がおこなわれている。絵画理論を発掘するための引き算的な探求から、その絵画理論の汎用性・有用性を確かめる実証実験にフェーズが移ったようなかたちだ。
ただの模倣に近いゾンビ・フォーマリズムに発展性がなかったのと対照的に、スパース・ペインティングの方法論はより簡単で安価にクオリティの高い絵画を制作できるだけでなく、作家独自のアイデアと個性を活かせる余地が充分にあるため、表現のフォーマットとして非常に優れているのだ。これは現在の音楽業界で世界的にトラップが流行っている理由と酷似している。
今後、この絵画形式が日本の画家にも影響を与えるかどうかは分からないが、引き続き観察していきたいと思う。以下はスパーズ・ペインティングと呼ぶことができるであろう絵画の一例である。参考までに。
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