生きる理由を見失ったら知覧へ征け
生きる理由なんかない。人生の目的なんかない。
生きているだけで素晴らしい。
これが僕が見つけた結論でした。
人はなんのために生きている?
自分が生きている理由は?
大人になったらこのように考えたことがある人は少なくない。
かく言う自分もこの1年、すごくすごく悩み、考えた。
そんな時、ある本で
「生きる理由を見失ったら知覧へ行け」
という言葉に出会った。
知覧
知覧がどこか知っている人は多いのか少ないのかわからない。
少なくとも、関西に住む私にとって知覧という町は全く知らなかった。
知覧は鹿児島県の最南端に位置する南九州市内にある町だ。
人口は1万人。よくあるthe田舎の風景が広がる長閑な町である。
しかし、この街は75年前、ある意味で有名だった。
知覧飛行場。
第2次世界大戦中、大日本帝国は本土最南端のこの街に、沖縄戦に備えた知覧飛行場を作り、戦争末期にはここは「特攻隊飛行場」として、多くの「神風特攻隊」の飛行機が飛び立った。もちろん、その飛行機が帰還することはなかった。
つまり、この街にあった飛行場から飛び立った飛行機に乗った隊員は、全員あの世に行く片道切符だった。
今、この街の飛行場があった場所には、知覧特攻隊平和記念館として後世に戦争の悲惨さを伝え続けている。
僕は先日、知覧の町に行った。
そして、この飛行場の跡地と、平和記念館に行ってわかったこと。
「生きることに理由なんかいらない」
特攻隊で命を失った人は四千人。この知覧から飛び立ったのは四百人。
平均年齢は20.1歳だそうだ。
その人たちは特攻隊員としてこの知覧の街で特攻命令を待った。
特攻命令は前日に言い渡される。
いつ呼ばれるかわからない中で、隊員は日々訓練に励み、特攻命令が出されると、その日の夜は仲間と宴会し、家族に遺書を書いて次の日を迎えたそうだ。
僕はいわば特攻隊員と同世代。
「明日君は国のために死ね」と言われるのだ。
理由は「お国のため」。
もし今言われたら、地の果てまで逃げ続けると思う。
しかし、そんな信じられない命令が75年前には「常識」として存在していたのだ。
そんな死ね命令を待つ人にとって「生きる理由」なんてあるのだろうか。
生きる理由なんかおそらく後付けか、無理矢理見つけ出したもので、生きていたらそれだけでいいんだ。
生きたくても死んだ人がいる。それは75年前もそうだし、今でも病気などでそんな人はたくさんいる。
その中で、健康に今を生きている人たちはどれだけ幸せなことなんだろう。
生きたくても生きることができない人がいる中で、どうして「生きる意味」を見つけなければいけないんだろう。
生きる意味を考えるづけるのはもうやめた。今を精一杯生きて、死ぬときに「ああいい人生だった」と言って死ねるように自分がしたいことをたくさんして生きよう。
生きることに理由なんかない。それが僕の答へ。
もし、また人生に悩んで、なんで生きているんだろうと考えたら、もしくはそんな相談を友人から受けたら自分はこの言葉を送りたい。
「生きる理由を見失ったら知覧へ征け」