見出し画像

『小学校~それは小さな社会~』に見る「教育という病」 山崎エマ監督の原点は「人間ピラミッド」!?

映画『小学校~それは小さな社会~』に抱いた違和感については、この記事に書きましたが、「教育リスク」という観点からもう少し書いてみます。

映画の内容と、山崎エマ監督の思いについてはこちらのインタビューで語られています。

いきなり脱線しますが、個人的にどうも気になったのが、6年生たちが運動会で披露する、荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」に合わせて縄跳びするという演目。

放送部の男の子が、最初はぜんぜんできなかった縄跳びを練習してできるようになるというのが映画のハイライトの一つなのですが、ファニーな演目とスパルタ気味の指導とのミスマッチがシュールで……。とくにバブリーな衣装を着るわけでもないし、この選曲をしたのは先生なのか、児童なのか……などと余計なことを考えてしまいました。

この場面、数年前だったら「人間ピラミッド」が登場していたかもしれない。内田良さんの『教育という病』を読み返してそう思いました。

教育的効果のある「善きもの」ゆえに、リスクが見過ごされ、正当化される……その最たる例として「人間ピラミッド」が取り上げられています。

なんで「ダンシング・ヒーロー」で縄跳びなんだ……と思いましたが、あれは人間ピラミッドが消えた運動会で、少しでも観客を楽しませようと考えた先生たちの苦心の作といっても過言ではないのかも……?

人間ピラミッドは、その危険性が指摘されてようやく下火になりつつありますが、数年前まで運動会の花形種目でした。巨大化、高層化が進み、中学校で10段、高校で11段が最高記録だそうです。

《2012年度1年間の、学校における組体操の重大事故情報を調べてみると、後遺症が残ったケースが小学校で3件起きている》

《過去には、裁判に持ち込まれたものもある。1990年に福岡県立の高校で起きた障害事案では、1億円余りの損害賠償が認められた(高等裁判所にて1994年に判決確定)。8段ピラミッドの最下段にいた生徒が、ピラミッドの崩壊により頸髄損傷を負い全身不随に至ったケースである》

《10 段(計151人) の場合、土台の生徒のなかでもっとも負担が大きいのは、背面から2列目の中央部にいる生徒であり、3.9人分の負荷がかかる。中学2年生男子(全国の平均体重 48.8キログラム) で190キログラム、中学3年生男子(平均 54.0キログラム) で211キログラムの重量になる。これが高校生にもなれば、2年生男子(平均 61.0キログラム) で238キログラム、3年生男子(平均 62.8キログラム) で245キログラムとなる》

内田良『教育という病』(光文社新書)

どう考えても危険すぎます。正気の沙汰ではない。

じゃあなんで「人間ピラミッド」なるものがブームになったのか。キーワードは「感動」です。

――組体操の魅力とは、ズバリ何でしょうか?

「感動」です。組体操には、関わっているものすべてを「感動」に包み込む力を持っています。そして、その「感動」は、深い信頼関係によりもたらされています。

大きなピラミッドにおいて、最も大きな負担のかかる子どもたちは、外からはその姿を見ることはできません。それでも、その子どもたちは、歯を食いしばりピラミッドの完成を願っています。そんな彼、彼女らを信頼しているからこそ、最後の1人は、勇気を出してピラミッドの頂上で両手を広げることができるのです。もちろん最初からそんな信頼関係が存在しているわけではありません。何度も失敗を重ねながら、何度も練習を積んでいくからこそ、その信頼がうまれていくのです。保護者たちも、子どもたちのその努力を知っているからこそ、感動してくれるのです。そして、私たち教員も、その過程を知っているからこそ、ピラミッドが完成したとき目に涙を浮かべるのです。

そんな「感動」こそが組体操の魅力であると思います。

「組体操の魅力はズバリ『感動』だ!」(https://www.meijitosho.co.jp/eduzine/interview/?id=20140413

ぞっとするような発言ですね。

危険な人間ピラミッドはなくなりつつあるものの、学校行事にやたらと「感動」を求める姿勢は根強くあります。『小学校~それは小さな社会~』においても、どうも日本の小学校における「感動」をいいものとして映している印象でした。

1年生の女の子が、みんなの前で合奏の練習不足を叱責されて号泣する場面、けっこう危うくないですか。教育的効果とリスク、どちらのほうが大きいか、意見が分かれる場面ではないでしょうか。

で、ちょっと検索してみたところ、山崎エマ監督、「組体操のピラミッドが原点」なんだとか……。

私にとっては小学生のとき運動会でやった組体操のピラミッドが原点になっています。今では考えられませんが、膝から血が出る子もいたり(笑)。それでも、練習を重ねてみんなで作り上げた時の達成感は自信になりました。実力以上の何かを乗り越える機会を与えられたことにより自己肯定感が増したので、そのような経験を今の子どもたちも体験してほしいです。

エース分室「映画『小学校〜それは小さな社会〜』の山崎エマ監督に日本の教育について聞きました。」(https://note.com/ace_magazine/n/nbad9b0d96b19

ドキュメンタリー映画監督の山崎エマ(34)には幼少期の忘れられない経験がある。自分は膝にひどい擦り傷を負い、同級生は骨折する羽目になった人間ピラミッドだ。大阪の小学校で6年生のころ、毎年恒例の運動会で組み体操を披露するため、同級生らと何週間も前から7段の人間ピラミッドをつくる練習をした。小さな体から血も涙も流れたが、本番で成功させた達成感は計り知れず、それは「私が粘り強い努力家だと自負できる理由」になっているという。
(中略)
人間ピラミッドは保護者から苦情が寄せられたため、現在はほとんどの学校で禁止されているが、山崎は組み体操が教えてくれた価値観を息子も吸収してくれることを願っている
「あれは私にとって奇妙な体験でした。いまでも懐かしく思い出します」

「米紙が報じる『日本の“軍隊式教育”がもたらす社会秩序とその代償』」(https://courrier.jp/news/archives/364369/

山崎エマ監督は、人間ピラミッドがなくなった小学校で、それに代わる「人間ピラミッド的なもの」を探して映していたんじゃないかと思います。そして、レビューサイトを見ると、「人間ピラミッド的感動」に涙する日本人がいかに多いのかもわかります。

教育という「善きもの」は善きがゆえに歯止めがかからず、暴走していく。「感動」や「子どものため」という 眩い教育目標は、そこに潜む多大なリスクを見えなくさせる。 当の活動が内包する心身のリスクは、非教育的だからこそ生じるのではなく、まさに教育的だからこそ生じるものである

内田良『教育という病』(光文社新書)

たしかに、日本の公教育には再評価するべき点もあるでしょう。「実力以上の何かを乗り越える」姿に感動もあるでしょう。でも、山崎エマ監督も、この映画に感動した観客たちも、「美談」に潜むリスクについても、もう一度直視したほうがいいのではないでしょうか。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集