映画『小学校~それは小さな社会~』に抱いた違和感については、この記事に書きましたが、「教育リスク」という観点からもう少し書いてみます。
映画の内容と、山崎エマ監督の思いについてはこちらのインタビューで語られています。
いきなり脱線しますが、個人的にどうも気になったのが、6年生たちが運動会で披露する、荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」に合わせて縄跳びするという演目。
放送部の男の子が、最初はぜんぜんできなかった縄跳びを練習してできるようになるというのが映画のハイライトの一つなのですが、ファニーな演目とスパルタ気味の指導とのミスマッチがシュールで……。とくにバブリーな衣装を着るわけでもないし、この選曲をしたのは先生なのか、児童なのか……などと余計なことを考えてしまいました。
この場面、数年前だったら「人間ピラミッド」が登場していたかもしれない。内田良さんの『教育という病』を読み返してそう思いました。
教育的効果のある「善きもの」ゆえに、リスクが見過ごされ、正当化される……その最たる例として「人間ピラミッド」が取り上げられています。
なんで「ダンシング・ヒーロー」で縄跳びなんだ……と思いましたが、あれは人間ピラミッドが消えた運動会で、少しでも観客を楽しませようと考えた先生たちの苦心の作といっても過言ではないのかも……?
人間ピラミッドは、その危険性が指摘されてようやく下火になりつつありますが、数年前まで運動会の花形種目でした。巨大化、高層化が進み、中学校で10段、高校で11段が最高記録だそうです。
どう考えても危険すぎます。正気の沙汰ではない。
じゃあなんで「人間ピラミッド」なるものがブームになったのか。キーワードは「感動」です。
ぞっとするような発言ですね。
危険な人間ピラミッドはなくなりつつあるものの、学校行事にやたらと「感動」を求める姿勢は根強くあります。『小学校~それは小さな社会~』においても、どうも日本の小学校における「感動」をいいものとして映している印象でした。
1年生の女の子が、みんなの前で合奏の練習不足を叱責されて号泣する場面、けっこう危うくないですか。教育的効果とリスク、どちらのほうが大きいか、意見が分かれる場面ではないでしょうか。
で、ちょっと検索してみたところ、山崎エマ監督、「組体操のピラミッドが原点」なんだとか……。
山崎エマ監督は、人間ピラミッドがなくなった小学校で、それに代わる「人間ピラミッド的なもの」を探して映していたんじゃないかと思います。そして、レビューサイトを見ると、「人間ピラミッド的感動」に涙する日本人がいかに多いのかもわかります。
たしかに、日本の公教育には再評価するべき点もあるでしょう。「実力以上の何かを乗り越える」姿に感動もあるでしょう。でも、山崎エマ監督も、この映画に感動した観客たちも、「美談」に潜むリスクについても、もう一度直視したほうがいいのではないでしょうか。