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akrn
絵空事 -trozo-
堅牢なそれを前にして、男は悔しそうに、或いは嬉しそうに嗤った。
――やはり、私ひとりの力では敵わないか…。
ずきりと痛むのは、慣れきったそれとはまた異なる傷の痛み。
――これではもう、助かるまい。
安堵とともに独り言ちた男の目からは、静かに雫が伝った。
――もう少し、眺めて居たかった。
――けれど、私が居らずとも、この村はきっと…。
死にゆく己ではなく、消え去るであろう誰かを想った。
伝った雫が地に落ちる頃、誰かが男の許へ辿り着いた。
男の名を呼び、流れる血に触れ、息を詰まらせる。
助けを求めたその声は、誰の耳にも届かずに。
或いは誰かの許にだけは届いて、痕は潰えて唯消えた。
けれどもどうせ泣くのなら、誰の耳にも届くように泣けばよいのにと、遺った誰かが独り嗤った。
――其処がお前の不憫な処よ。
最も知りたくなかった其れを前にして、
――私は消されはしない。
誰かが――女がそう言うと、その亡骸に僅かに身を寄せ、散った朱色に静かに口付けた。
口付けられた朱色は、未練がましく纏わり付いた。
紅を引いた女の口は、其れでも唯、にたりと笑った。
何故なら女の思った通り、今まで口にしたどれよりも、甘美なものであったから。
驚いたように、ざわりと木が揺れる。
女は、人の形をしていることにすら飽きた様子で、月の亡い空を見上げた。
さらに女は、口付けだけでは飽き足らず、やがてざらりと舐め尽くし、
――久方振りに腹が膨れた。
そう、啼いた。
啼いたそれに、人々が怯まぬわけもない。
異形が立ち去った跡には、何も残ってはいなかった。
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