絵空事 -eclipsar- 第4話「足下の陰」 ~ eclipse negro
「貴方は、何という事を…! 此処までする必要はあったのですか…!?」
まるで己のことのように、彼女は云った。
「…。何か、思い違いをなさっているのではありませんか?」
其れを咎める訳でもなく、ただ誤りを正そうと、静かに問うた。
「え…?」
「…。よいですか? あなたは、わたしではありません。」
「…っ。」
出来るだけやわらかく伝えた心算だったが、彼女はひどく息を呑み、表情を歪ませた。
「仮に貴女が、私と同じ生を辿ったとして。今に至り、此処までする必要はないと思い留まったとしても、其れは私には関わりの無い事。――其れは貴女であって、私では無い。」
更に諭すように言うと、幾分か表情を和らげ、尚も続けた。
「既に私が為した事を、今――其れも、他者から言われたとて、無意味でしょう。」
「…。けれど。…此れ以上の愚行を、止めさせる事は出来ます。」
「…愚行、ですか。」――くすくすくす。
「此れ以上、貴方を傷付けたくはありません。」
悲痛な面持ちで、彼女は呟いた。
相変わらずだな、と思いつつも、溜息を吐きながら言葉を吐き出す。
「――成程。其れが貴女の義務だと云うのなら、止めはしません。」
「義務だなどと。そのような――」
「ですが、貴女に其れが果たせるのですか?」
微笑みと共に言葉を遮り、新しく、少年の形をとった式神をつくった。
「貴女は、ずっとそうして臥せっていた。…それでも、たたかうと?」
念を押すように問い掛けたが、凛として怯まぬその目を見、応とするより無かった。
「――まぁ、どちらでも良いか。結果は変わらないだろうから。」
変わらず、我の強い女子だな、と思いながらそう言い、諦めたように立ち去った。
――何を甘えた事を、と、僅かに己を嗤いながらも。
後には式神(みずは)と、彼女(れんげ)だけが残った。
女一人、式神でどうとでもなる。
私が探しているのは、もうひとり――
「――兄上。捜しましたよ。」
「…、翅葉。」
ぎり、と奥歯を噛む音が、僅かに聞こえたような気がした。
「…何故私がこのような事をしたのか。貴方は御存知ですか?」
「――思い当たらぬ方が、どうかしている。」
「ほう。…貴方が大層尊敬なさっていた御両親は、お解りになられないご様子でしたよ?」
「…だから、殺したのか。」
「いいえ。…最後に、尋ねてみたかっただけです。単なる気紛れですよ。」
「…。………」
「…何れ、こうなるだろうと予感していた。」
重苦しい沈黙の後、兄はそう続けた。
「――そうですか。…異論は無いと仰せですか?」
「ああ、無い。――殺したくば、殺せ。」
その目をひたと見据える。
どうやら覚悟は決めているらしい。――しかし。
「解っているのなら、其れで良いのです。――見逃して差し上げましょう。」
「何…?」
「一度だけ。――再びまみえた時は、存じませんがね。」
「そうか。…解った。恩に着る。」
「必要ありませんよ。…貴方の生を保証した訳ではないのですから。」――くすくすくす。
「否。其れでも、だ。」
「そうですか。…其れでは――二度とまみえぬ事を願っております。」
「…。………」
何の気なしに礼をすると、酷く眉根を寄せた表情でこちらを一瞥された。
今となっては遅すぎるそれに苦笑しながら、最後の捜し者は何処かと、再び歩き始める…。
***
がたん、と大きな音がした。
翅葉が去って行った方向とは、逆からだ。
あいつが生かした人間が、他にも居るというのか。
些か慄きつつも、その一室を覗き見る。
「…!!」
其処には、式神らしき男――否、少年が。
地に伏せた誰かに止めを刺そうと、その手を翳している。
咄嗟に、それを弾いた。
その目が此方を捉えるのと同時に、式神は自ずと姿を晦ました。
何故、と訝るより先に、伏せていた誰かへと駆け寄る。
「――っ、無事か!?」
「…、あ…。」
「お前は…、蓮華か。」
「…鋼夜様。お救い下さり有難う御座います。御無事だったので御座いますね。」
「ああ。…立てるか?」
「はい。…っ、痛…」
流石に無傷という訳ではないだろう彼女は、その足に血を滲ませていた。
「直ぐに手当をしてやる。」
「え…。」
自らの袂を破り裂き、傷へあてがった。
「その有様では、どうやら奴はお前の言葉も聞き入れなかったようだな。」
「…、はい…。」
「ならば、さっさと逃げる事だ。」
「…!!」
「お前だけでも傍に居てやれ、と言ってやりたいのは山々だが。…あいつはもう、何も欲していない。」
「そんな…。」
「遭っても、恐らくは殺されて、終いだ。」
「…。」
どうにか此方の言葉を否定しようと凛と見据えた眼は、やがて不安げに地に落ちてしまった。
哀れなその様に、何かよい言葉はないものかと、暫し思いを巡らせる。
「…一族の為とはいえ、お前や翅葉には…済まない事をした。今更詫びたとて意味の無い事だがな。」
静かに詫びた。――無論、ゆるされるとは思っていない。
しかし、女は思いもしない言葉を――或いはまた――私に掛けた。
「…。いいえ。そう感じていて下さったのならば、其れはもはや、罪ではありません。」
「…お前も、私を赦すのか。――お前とあいつは、本当によく似ているんだな。」
「…。………」
そしてやはり、少し苦く、彼女は微笑んだ。
「さあ、これで良いだろう。」
「…有難う御座います。貴方は…?」
「私は…、お前が逃げ延びる為の時を稼ぐだけだ。――早く隠れろ。あいつが来る。暫しの間、出来る限り音を立てずに、此処に潜んでいろ。…血を絶やす訳には、いかんからな。」
「え…!?」
戸惑う彼女を押入れへ誘い、そう促す。――少しでも助けになればと、守りの術を施した呪符を持たせた。
余程大きな音を出さない限り、彼女は見つかる事は無いだろう。
――…少し場所を移すか。私も…、温くなったものだ。
幾年ぶりかに感じた少し温かな気持ちに、ほんの少しだけ赦されたような気持ちになった。