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映画「正体」〜横浜流星という未解決事件

映画「正体」は、映画館で2度3度と繰り返し観る人が多いと聞くのも、頷ける。スクリーンに、特殊な出来事が起こっている。

日本映画史のみならず、アジア映画全般を見渡しても、突出して美しい俳優、横浜流星(以下、敬称略)が、脱獄した死刑囚、鏑木慶一として、大阪の工事現場に猫背で無精髭厚底メガネのベンゾーとして現れた時、銀幕に貼り付いていた目が、腰を抜かした。

ベンゾー!!

たしかに、かつてのロバート・デニーロや松田優作に見られた、役のためなら役者は自らの姿形を変えるという方法論はある。

「野獣死すべし」

「野獣死すべし」の松田優作は、役のために奥歯を全部抜き、「(背の高い自分は演技が目立ってしまうから)脚を5cm切りたい」と周囲に漏らしていたという。
「(脱獄囚として目立たぬよう)潜伏するために、姿を変える」
それは鏑木慶一としては、理にかなった行動だろう。

目を一重瞼に変え、食品加工場で働く脱獄犯

しかし、横浜流星が、むさい男に姿を変える時、いや、一般人レベルの男であったとしても、誰であるのかまったく分からなくなる(完全に群衆に紛れ込む事に成功する)というミステリーが成立する。

刑務所面会室にて、あまりにも美しい死刑囚

この映画は、物語で起こっている事件とは別の事件が、並行して起こっているところに、特異性がある。
若き俳優が類稀な美貌を変えたというスクリーン上の出来事が、周りに及ぼす事件だ。
その影響は映画の内側に留まらず、観客である我々に及ぶ。事件が起こっている現場に立ち会いたいがために、我々は繰り返し映画館に足を運ぶ。

人は食器棚の一番上に、高価だったり、最も気に入っている陶器を置くという。ちょっと手を滑らせれば忽ち壊れてしまう、と知っていてそうするらしい。稀少で傷つきやすく、美しいものを、眺めていたいから。
美貌の俳優が、外見を隠す、変容させるというのはそれだけでリスクだ。
逆に、隠しても、アクションも、ミリ単位の感情の動きも完璧にこなすならば、絵の描かれた冷たい陶器ではなく、内側から熱量のある光を発する水晶の魔術的な美しさを、人はどうしても覗き込みたくなり、手を伸ばして触れたくなるだろう。

映画の中では、吉岡里帆の演じた役柄が、そんな美の残酷さを体現していた。

変装はしないまでも、まだ幾重にも外見を覆い隠していた逃亡者を、都会の人混みの真ん中で見つけ出したのは、彼女であり、自室に匿い、隠されたものが露わになるのを、繊細に揺れ動く暖もりのある光を、目の当たりにするが、性的に触れる事はなく、あたかも観客と同じように、大切に見守る。
食器棚の一番上に置く陶器のように。

個人的に、今まで彼女の演技に触れる機会がほとんど無かったのは、不幸としか言いようがない。
鏑木よりも少し年上のサイト編集者という役どころで、公私ともに彼を支える。

(彼が死刑に値する犯罪者だとは、どうしても思えない。彼という人間から発せられる、かけがえのない何かを知ってしまったから)
その何かは、もしかしたら彼女が、あるいは観客が、生きてゆく上で必要とする、日常の中で消えかかった、あるかなきかの灯火かもしれない。
映画館という暗所と光が、世にも稀な美しい原石の表面を消し去っても、暗闇で内から煌々と輝き始める、ラピュタの飛行石にも似た神秘の事件に、彼女を、我々観客を、立ち合わせているのかもしれない。

刑事が踏み込み、棚も硝子のテーブルも無惨に砕け散る中、彼女は身を挺して彼を逃す。

役柄の、良い大学を出た知的な女性という雰囲気が自然に出ていて、芯の強さを感じさせる、節度ある演技は、私が生涯敬愛する映画「暗黒街の弾痕」のシルヴィア・シドニーのようでもある。
今後ますます、役に恵まれる事を願う。

もう1人、鏑木が接する若い女性を山田杏奈が演じているが、彼女の演じる介護ケアラーの役どころは、もっと世俗的に幸福であり残酷だ。

ある目的をもって、鏑木はケアラーとして介護施設に潜入する。地方都市であり、施設以外の人目に触れる機会も少ない事から、彼は変装を解いている。そこには明確な意図がある。

同僚の彼女が、誰がどう見てもハンサムな彼にぽっとしてしまうのも無理はなく、ある日、思い切ってデートに誘っても断られなかった。

『正体』(C)2024 映画「正体」製作委員会

そこで彼女は、現代女性なら普通の振る舞いのように、イケメンの彼氏とデートしています的な写真をSNSに上げるのだが、もちろんそれは逃亡犯、鏑木の所在を明かす事に繋がる。
しかし彼は、そこまでを織り込んでいたように見える。警察に包囲された中で、最も残酷な形で、SNSを通じ自分に協力してもらうよう、彼女に依頼する事になるのだから。

映画『正体』本予告より

現場まで急ぐ、吉岡里帆が運転する車が、山間にかかる長い橋を渡るシーンも印象に残った。
1車線ずつの対面走行で、路面には浅く雪がかかっていたが、結構なスピードでとばしていた。運転の上手い人でなければ、ああいう風には走れない。役にとても似合っていた。

本作は藤井道人監督により親交深い横浜流星の初主演作として4年前から構想が始まり、当初は2人が好んだアーティストamazarashiの楽曲に影響を受けた逃走劇だったという(横浜談)。
「時間はかかったが、こうして確たる藤井監督の世界観をもち、なおかつエンターテインメントとして成立する作品となった」(同)
仲間内のノリ的に作ってしまわずに、多くの人間に開かれた作品となった。
親しい間柄の俳優を、余計に庇ったり配慮したりせず、逆に、2枚目俳優、性格俳優、アクション俳優がもつ力量を、1人横浜流星が満たし得ると信じ、過剰な負荷を与え続け、レベル(限界)を突破した。

さて、日本映画はもう1人、国内映画史およびアジア映画全般においても突出した美男俳優をもっている。

吉沢亮と横浜流星、フランス映画史とヨーロッパ映画全般におけるアラン・ドロンのような存在を2つ、ツインピークスでもってしまったわけだが、その2人が来夏公開の映画「国宝」で共演するという。

今、日本映画におとずれた、目も眩むような幸福に、震えを抑える事ができない。


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