中高生へ。先生も学校も世の中も平等なんかじゃない。
これまでの経験からある気付きがあったので、中学生・高校生向けのメッセージとして書きたいと思います。
大変有り難いことに中学・高校で授業をさせて頂く機会が増えました。今年から東京都の某私立高校の探究プログラムも持たせて頂いています。
そんな機会のおかげさまでサラリーマンとしては比較的多くの中学生・高校生・学校の先生方とお会いさせて頂く機会がありましたが、一つ直感的に思ったある仮説があります。
真面目な中学生・高校生ほど、『人は歳を重ねるごとに人に対して完璧な存在にならなければならない』と思っているのではないか、ということです。
特に学校の先生や自分の両親意外の大人と会う機会が少ない中学生・高校生は教育を受ける相手が先生だけということが多いことで、自分を指導してくれる相手(つまり自分の親が学校の先生)はより完璧な存在であるべきで、完璧な存在だからこそ説得力のある振る舞いをすべきだと思っているのではないか、ということです。
具体的には『学校の先生は全員に平等であるべき』と思っている人が多いのではないかと思います。だからこそ、些細なきっかけで他の生徒の方がいい待遇を受けていると感じたり、自分のことをケアしてくれていないとそこにある種の不平等感を感じるのではないかと思います。
そんな中高生がもしいたら、強く言いたい。
『学校も先生も生徒に平等じゃない。甘ったれてんじゃねえ』
正確に伝えると、学校も学校の先生も平等ではないけれど、少なくとも
『公平でいることに精一杯努力をしている』
ということです。
少ない場合でも20人、多い場合には40人以上いるクラスの生徒と毎日勉強や部活での指導をし、それ以外にも多くの事務作業を抱えており、受験期を迎える生徒にはキャリア相談にも乗る。
そんなハードな毎日を送る学校の先生は言わずもなが一人の人間です。
先生自身も自分の授業で生徒が寝ていたりつまんなそうにしていたら悩むし、帰りが遅いと家族に怒られることもあるし、先生自身の職場環境やキャリアに悩むこともあります。
そして当然ながら生徒一人ひとりに対してのエネルギーの掛け方に自然と違いも出て来ます。
物理学の法則でも作用反作用の法則があるように、人間関係にもその法則が成り立ちます。
沢山エネルギーを注いた相手が素直にそれを受け止めて、それを自分の力に変えてくれていたら、そんな生徒にエネルギーを注ぎたくなるはずですよね。
以前の記事で、これからのせんせいには『AITAI力』が必要だと伝えました。
AITAI力の一つには『相手と向き合う力』があります。
向き“合う”ということは何も先生一人が一方的に生徒の方を向くことを表すわけではありません。
生徒側が先生の向き合う姿勢に向き合うことで初めて成立するものです。
先生や学校に対して不平等だと感じてしまう中学生・高校生に逆に聞きたい。
『あなたは学校の先生の指導やアドバイスに対して、他の(優遇されていると感じる)生徒と同じくらい精一杯応えているだろうか。』
学校の先生が提供するありとあらゆる生徒へのアプローチは、例え生徒に公平に接していたとしても、その生徒たち全員が同じだけ受け取ってくれる保証はありません。受け取った生徒がどのタイミングで受け取ってくれるかも予測不能です。
それはなぜか。
『教育そのものに価値があるかどうかは受け取る側の意識で決まる』
からです。
先生の教え方を変えて欲しいとか、生徒に接する態度を変えて欲しいとか。まあ、気持ちも分からないではありません。きっとまだまだ未熟な先生も中にはいるのだと思います。だけど、人がこれまで培ってきた習慣や言葉遣いを人の指摘で変えることは容易ではありません。
それならば、そんな未熟だと思う先生から何か学べるところはあるか?少しでも良いところを探したり、自分が接する態度を変えてみることはすぐにできるのではないでしょうか。
『まずは自分の捉え方、行動を変えてみる』
それが一番手っ取り早いと思うのです。
今ではこんな偉そうなことを言っている僕も16歳の時にこんな体験がありました。
中高一貫の高校に通って、比較的成績も良好だった高校一年生。
圧倒的自由な校風だった母校では、必ずしも勉強や部活だけに力を入れている生徒だけではなく、課外活動やそれぞれの趣味に没頭する特異な生徒が多くいました。
そんな環境の中では勉強や部活への努力だけは人一倍していた自負がありました。そしてその努力の甲斐もあって、部活でもキャプテンとして結果を残し始めていて、学業も学年でトップに入る成績を収めていました。
そんな僕をある日、担任でもない地理の先生が突然カフェテリアに呼び出します。
『悠、最近勉強も部活もよく頑張ってるらしいなあ。』
『はあ、、、有難う御座います。(なんか褒められている気がしない)』
『でもお前はこのままだとA -のおとこで終わるやろうな。自分でもわかってるやろ』
僕の所属していた学校では5段階評価がA〜Eの5段階で分けられており、それぞれのアルファベットの中でも更にA+、A、A -の三段回に分けられるというシステムでした。
つまり、A -とはいわば上の下といったポジションで負けず嫌いの僕にとってはプライドを強烈に傷つけられる言葉でした。
『俺みたいに努力していない生徒も他に沢山いる中でなんで努力している俺がそんな一言を言われなきゃならないんだ。余計なお世話にも程があるわ。放っておいてくれ』
言葉を素直に受け取れない僕はそれからしばらくはその地理の先生に一方的に嫌悪感を抱いていました。
でも負けず嫌いな僕は日に日にこの地理の先生を見返したいと強く思うようになりました。それと同時にきっと心のどこかで『痛いところを突かれたなあ』という思いを持っていたのだと思います。
そこで当時人前で上手くプレゼンをする人を『あんな人になりたい』と思って羨ましいと感じていたこともあり、高校2年生の時から突如プレゼンテーションの機会に挑戦します。当時大阪大学と母校が高大連携の活動の一貫で取り組んでいたサイエンスパートナーシッププログラムに参加して、大学院生の前でプレゼンテーションに挑戦。学内のプレゼンテーションコンテストにも挑戦。最初は緊張のあまり、原稿を手から落としてしまうほどの手が震えていたのを今でも覚えています。
思い返せばあの時の挑戦が今現在人まで講演をさせてもらったり、授業をさせてもらっている時の話術に繋がっています。
卒業してしばらく経ってから、地理の先生のあの時の言葉に強く感謝をして、
『先生、あの時素晴らしい指摘をしてくれて有難う御座いました。』
あの日あの時の地理の先生の僕への指導は果たして平等だったろうか?
いや、違うと思う。きっと他の生徒と同じ接し方を僕にはしていなかったはずだ。きっと僕以外の他の生徒には全く違った言葉のかけかたをしていたに違いない。
この先生のことを好きだった生徒もいればそうじゃなかった生徒もいると思います。
間違いなく言えるのは、
変わったのは先生ではなく、僕自身の捉え方が変わった
ということです。
あの時の先生の言葉を僕への攻撃として捉えるか、僕へのアドバイスと捉えるか。
それは他の誰でもなく僕の意識が決めること
なのです。
ここまで書いていくと、
『どうせ私が悪いんでしょう。』
と思ってしまう中高生がいるかもしれない。
そうじゃないんです。悪いと言っているのではなくて、
中学生・高校生のあなた自身が
『あなたの可能性を舐めんじゃねえ!!』
と伝えたい。
ほんのささいなきっかけや捉え方一つで、あなたの周りの全てをあなた自身の人生における教訓に変えることができるんだ。
まだ社会で働く多くの大人ほど社会の固定概念に縛られていないあなたは、あなた自身の概念をより柔軟に変えることができるんだ。
自分の学校生活がうまくいかない時。自分の受験に向けた勉強がうまくいかない時。先生との対話がうまくいかない時。
そんな壁のいずれかにぶち当たった時、それを自分以外の誰かのせいにした瞬間にあなたはあなたのなりたくない大人に一歩近づきます。
そんなしょうもない意識を抱く為に、あなたは毎日学校に通っているのではありません。
これまで沢山の中高生が意識を変えて、彼等彼女達の行動を変えて前に進んでいった姿を沢山見てきました。
時代の変わり目に生きるあなた達があなた達よりも遥かに世の中に多い大人達を敵だと捉えてしまうことは、世界で少子高齢を初めて体験する日本では間違いなく損になります。
そして中学・高校を卒業した皆んなに待ち受けているのは、学校よりも遥かに不平等な世界です。自分が超えられない壁や荒波にあった時に、それをいつでも相談に乗ってくれる学校の先生はもう目の前にいません。
それでも多くの大人がそんな柵がある中でも、一生懸命に生きて、人に対して公平であろうと努力をしているのです。
過去の書物や教科書にこれからの社会で生き抜く全てを描くのが遥かに難しくなってしまった今の時代、一番の教科書は同じ時代を生きる人そのものなんです。
捉え方は今からでも変えられる。学校は楽しい場所にできる。先生とも良い関係を築くことができる。
是非中学生・高校生という早い段階で自分の捉え方を変える練習をしてみてください。
日本人全員をせんせいにするANOTHER TEACHERの僕達も、これからせんせいにする人々の次元を高めていって、もっともっと中高生の未来を照らす存在にします。待っていてください。
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