掌篇小説|腐草為蛍
七十二候 第二十六侯 くされたるくさほたるとなる 腐った草が蒸れ蛍になる(Wikipediaより)
大手町の通を、暮れ始めた午後七時過ぎになると、空飛ぶ円盤の群が東の空に現れ、緑色の光を点滅させながら飛び去ると云う話題が、ネットニュースで散見される様になった。大手町の駅を使う課長は、噂に聞くばかりで目撃していなかったし、撮影しても写らないとかで証拠もないし、「あれは嘘だよね」と、笑った。
しかし、それらが出現するのは今月に入って毎晩の事で、友人の知り合いの会社員が、ビルの上を飛行する円盤を見ていたら、駅まで追跡されたとか、○○大学の学生のグループが、動画を撮りに行った時、一機のUFOから緑のレーザービームを発射され、もう少しで撃ち殺されるところだったとか、どこまでが本当だか分からないものの、新しい噂がネットを介さずに伝わる様になり、その内に夕方になる頃、大手町に野次馬が集まり出した。
暫くすると、課長が「UFOに轢かれそうになった」と訴えた。「マジですか」と喰い気味に問いただしたのは会計年度職員の若井君で、若井君は大手町の先のJRで通勤しているのに一度も見る機会がなかったので、課長に先を越されてしまったのが、忌々しかったのだろう。帰りにコンビニエンスストアに寄った課長は、店を出るなり、急降下して来たUFOに、頭の直ぐ上を掠められたと云う。身近な人物が被害に遭い、俄かに騒動が実感を伴い始めた。
課長から話を聞いた日の午後、田レ専門員に用事を頼まれ、大手町の通を歩いていると、数十メール先の歩道の真中に、握り拳程の白い綿菓子が落ちていて、一つ処で廻っているのが眼に付いた。風も吹いていないのに、地面から少しばかり浮かびつつ回転している。転がる度に綿菓子が解けて大きくなり、千切れた先端が回転する方向になびいて、台風の目の様な形になると、くるくる舞いながら上昇し、空に消えてしまった。
一丁目の銀行の女子行員が、暴漢に襲われたらしい、と云う騒ぎが起こったのはその二日後で、らしいと云うのは、本人はいつの間にか意識を失い、不思議と目撃者も居なくて、何が起こったのか明瞭しないからである。現金の入った銀行のバッグが盗まれていないのも、謎ではあった。それでも、女子行員の倒れていた辺りの街路樹は非道く荒らされ、焼け焦げていて、只事ではない気配が漂っていた。ネットニュースは、UFOに攫われていたに違いない、と煽った。
従姉妹の誕生日に、大手町のチョコレート専門店の限定品を送る約束をしていたので、私は仕事の帰りにその店に向かった。大手町に行くのは怖ろしくもあり、空飛ぶ円盤を見てみたい気持もある。予約していたトリュフを受け取ろうとしたら、表から叫び声が聞こえた。急いで支払いを済ませ、遂にUFOと遭遇のチャンスとばかりに店から駆け出すと、遠巻きに見物する人人に囲まれた若井君が、片手で額を押さえ、俯き加減で立ち竦んでいる。近づいて若井君の足元を覗いてみたら、掌に乗るくらいの黒いドローンが、緑の小さいライトを点滅させながら転がっていた。
「大丈夫? 怪我してない? これがUFOの正体なの?」と若井君に訊ねたら、「いや、UFOかどうかは、分かんないス。急にぶつかって、でも、こいつ、あんまり頑丈じゃなくって…」と、爪先でドローンを軽く突くと、触れた箇所から忽ち崩れて粉々になり、ドライアイスの煙の様に気化し始めた。周囲がなんとなくカメムシ臭くなった。
これで、あなたもパトロン/パトロンヌ。