見出し画像

謎小説|恐怖!レンコン人間の怪

その日、おれは関東の田舎町を車で走っていた。辺り一面を田んぼに囲まれたこの道は、夜になるとまるで湖に浮かぶ一本道のように見える。

明るいうちはそこら中を軽トラックが走っていたが、日が落ちた今、走っているのはおれひとりだ。

ろくに整備もされていない、ゴツゴツした田舎道をおれのライトだけが照らしている。月は出ていない。真っ黒になった田んぼの水面が、闇を大きくしている。こんな道を走り続けていると、車のライトまでを闇に侵食されてしまうような気がした。

おれは本社に戻り、書類をデスクに置いてすぐに帰るつもりだ。細かいことは明日の朝やればいい。残業はなるべくしたくないというのもあるが、さっさと家で酒を飲みたいというのが本音だ。こんなに気味の悪い場所をもう一時間近く走っていれば、誰だって同じ気持ちになるだろう。

しかし、ここには見渡す限り田んぼしかなく、たまにぽつりぽつりと似たような民家があるくらいだった。しかも、ほとんどは廃墟になっているようで実際に人が住んでいる家はかなり少なく思えた。

そして、おれは道に迷っていた。

「あいつ、明日の朝一番で怒鳴りつけてやる」おれは気を紛らわせるように、わざと大きめの声で言った。

出発前、後輩の高橋に地図を積んでもらったが、やつが入れたのは縮尺の大きな地図であり、当然、この辺りの田舎道などは一切確認することができない。袋小路に入るたび、高橋の腹立たしい顔が浮かんだ。

四方を田んぼに囲まれているせいか、だんだんとモヤが出てきた。視界は徐々に悪くなり、辺りの風景がどれも同じに見える。

「果たして俺はここから帰れるのだろうか」

小説のようなセリフが口から出た、しかし、大した気晴らしにはならなかった。モヤはますます濃くなり、ライトが照らしている十数メートル手前以外は何も見えなくなっていた。

おれは帰れない焦りとイライラで、運転が荒くなっていた。狭い道路のど真ん中を走り、法定速度もとっくに過ぎている。モヤで視界の悪い中、もうどうにでもなれと思っていた。

しばらく走っていると、突然、前方のモヤから一台の軽トラックが出てきて、おれは慌ててブレーキを踏んだ。車は凄まじい音を響かせながら、ぶつかる寸前でなんとか止まった。

ハンドルに額を打った痛さと相手への申し訳なさで、おれは顔を上げるのをためらった。

伺うようにゆっくりと目線を上げると、軽トラックに乗った老人が目を剥いてこっちを見ている。おれは再び申し訳なさがこみ上げてきた。それと同時に、車のフロントの汚れが気になった。泥の塊に正面から突っ込んだような汚れが、べったりと付いている。

そんなことを考えている場合ではないことを思い出した。

まずはバックか、いや、それともこのまま道路の端に寄せるべきか。おれがもたもたしていると、老人は慣れたように車を切り返し、すれ違うようにして真横に止まった。

怒鳴られる。

老人は、ドアのハンドルをぐるぐる回して窓を開け、上半身ごと乗り出してこっちの窓をバンバンと叩いてきた。

開けたくはない、しかしそうもいかない。おれは小さい覚悟を決めてパワーウィンドウを下げた。

「都会の者か?」老人が言った。

おれは都会には住んでいない。しかし、この田舎以外を都会と言うのであればそれは間違ってはいないだろう。それほどまでに、この辺りには何もない。

そしてなにより、老人が怒っていないことにほっとした。

「ええ、そうです。道に迷ってしまって。大きな国道に出るにはどちらに向かえばいいのでしょうか」
「今日は何の日か知って、ここに来たのか?」老人はやたらに前後を気にしている。なにか焦っているようにも見え、そのせいか俺の質問には答える気は無いようだ。

今日は祝日でもない。地域独自の行事でもあるのだろうか。しかし、そんなことはどうでもいい。おれは早く帰りたい。

「国道へ出る道は分かりますか?」老人の言葉を無視して聞いた。
「悪いことは言わん。どこかの家に入れてもらうか、さっさとここを離れろ」そう言い切る前に、老人は窓を閉めながら車を発進させた。

「あ、あの、すいません!」おれは窓から首を出して叫んだ。軽トラックはゴムが擦れる音をがなり立てて再び止まった。

「なんだ!」首だけをこちらに向けている老人は明らかにイライラしていた。

「国道に出るにはどうしたら……」
「国道? そうだな、この道を……」老人の言葉が詰まった。

「……? あの、国道には」
「とにかくこの場所を離れろ。ここから出ろ!」

老人は再び急発進させると、側道に折れてあっという間に見えなくなった。あんなところに道があったのか。

静寂とエンジン音とモヤがおれを包んだ。

言われなくたってこんな場所からはさっさと離れたい。
モヤがどんどん濃くなってきた。
老人が焦っていたのはこれが理由だろうか。
もう数メートル先を見るのでやっとになっている。

それでも俺は車を進めた。どちらにせよ、こんな場所にいるつもりはない。田んぼだらけのこの場所を抜け、国道に近づけば少しはモヤが晴れるだろう。

おれは、さっきの道に戻って曲がればよかったと思いながらノロノロと車を進めた。

相変わらずモヤがひどい。そのせいで、どれくらい進んだのかもどこにいるのかもさっぱりわからない。時計を見ても、あの老人と会ってからどれくらいの時間が経ったのか分からない。

おれは本当に進んでいるのだろうか。もしかすると、車の周りにあるモヤが動いているだけで、車は一ミリも進んでいないのではないか。そんな妄想をしてしまう。

しかし、おれの車はしっかりと進んでいた。それに気づいたのは、路面の様子が変わってきたからだ。

道路にやたらに泥が落ちている。ここは田んぼに挟まれた農道であり、収穫期となれば泥が落ちていても当たり前といえば当たり前だ。しかしそれにしても、目につくほど落ちている。その泥はまるで、田んぼから何者かが這い上がってきたばかりのように泥水をたっぷりと含んでいた。

少し先には足跡のように転々と続いている泥があり、その先では大量のレンコンがはじけて潰れていた。そこを通ると「ぐしゃ」という湿った音が聞こえる。おれはそのたびに、轢いてしまった野良猫を思い出した。

運転免許を取得した年、おれは友人たちと伊豆の方まで旅行にでかけた。親友の傷心旅行という名目だった。シャボテン公園やワニ園、海沿いにある道の駅でアイスを食べ、夕暮れ近くに帰路についた。途中で寄ったコンビニで、不良らしき数人に睨まれドキドキしたのを覚えている。

女がなんだ、女がどうしたなどという会話で盛り上がっていたが、首都高に入るころ友人は皆寝てしまった。

おれは眠気覚ましにラジオをつけた。

スピーカーから、ちょうどその時期にデビューをした新人歌手の曲が流れてきた。別れた恋人が新しい彼女をつくったとか、好きな子を友人によこどりされたとか。薄ら暗い内容の詞に、明るい調子のメロディーをつけることによってバランスを保っている歌だった。

この歌を俺は何度もカラオケで歌った。そのとき狙っていた女友達の好きな曲であり、必死になって練習したのである。結局は、その女友達は別の友人と結婚することになる。この新人歌手も大麻か何かで捕まり、芸能界からは姿を消した。今でも歌は好きだ。

地元の道に帰ってきたとき、猫が飛び出してきた。あ、と思ったが避けられず、猫は車の下へと消えた。

ギャン、という鳴き声が聞こえ、車体が少し傾いたような気がした。慌ててブレーキを踏み、後ろを確認したが猫の姿は見えなかった。死体があるだろうと思ったが、無いということは逃げるだけの体力があったということになる。運が良ければ生きているだろう。それ以来、おれは猫を見るのも苦手になった。


それがトラウマになっているのだ、いつの間にか車のスピードは時速10kmを切っていた。モヤが車をすり抜けるのか、車がモヤをすり抜けるのかもはや分からない。俺はただ真っ白な世界に向かって、運転し続けているだけだった。

ふいにモヤの中、人影がぬっと現れた。

ライトに照らされ、白くシルエットが浮かび上がる。人であることは間違いない。それはぎこちなく、全ての関節が錆びついているような動きだった。田舎は老人が多いな、いや、老人が多いから田舎なのかもしれない。おれはどうでもいいことを考えながら車を降り、今度こそ国道までの道を聞き出そうと思った。

「あの、すみません」

老人の動きがピタリと止まった。しかし、こちらを振り向く素振りはない。近くで見たシルエットは思っていたよりもがっしりしている。

「あのー、すみません。大きな道路に出るにはどうしたらいいでしょうか」おれは再び声をかけた。

しかしというか、やはりと言うべきか老人は動かなかった。耳が遠いのか、それとも、ここの老人は排他的な人間しかいないのだろうか。

もう一度声をかけようとすると、前方からエンジンの唸り声が聞こえてきた。それに続いてふたつのライトが浮かび上がる。車だ。車がこちらに向かってくる。

こっちに気づいていないのか?
いや、きっと止まるだろ。止まらない?
逃げたほうがいいのか?
逃げたほうがいい。逃げよう。

おれは踵を返し、車の方まで走り出した。

瞬間。ブレーキ音。ドンッ、グシャッ。

それらの音に続いて、硬直するおれの足元にゴロゴロと何かが転がってきた。

視界のすみに写り込んだそれは、砕けたレンコンだった。
空転を続けていたエンジンは、ぷすんと音をたて完全に沈黙した。

「大丈夫か」老人ではない男の声がする。

振り返ると、軽トラックの横に作業服姿の男が立っていた。

「大丈夫か、あんた」
「ああ、大丈夫です」あまり大丈夫ではないが、反射的に大丈夫と答えてしまう。
「噛まれてないよな?」男はタバコを吸っていた。
「噛まれる? 野犬とかですか?」
「いや、違うんだが。大丈夫ならそれでいい」
「はあ。あの、でもさっきそこに人が!」
「ああ、これのことか」男は、地面に落ちているレンコンに脚を乗せて言った。
「そうじゃなくて、あなたの車が止まっている辺りに人がいたんですよ!」
「だからこれだろ?」男はレンコンをぐしゃりと踏み潰した。中から泥が漏れ腐敗臭があたりに漂う。
「いや、そうじゃなくて人が……」おれは頭のおかしいやつに絡まれたと思い、後ずさりを始めた。

「ああそうか、あんた都会から来ただろ」

また都会か。と思った。ここいらの連中はみな、田舎以外は都会だと思っているようだ。

「まあ、そうですね。たしかにこの辺の人間ではありません」
「だよな。じゃなきゃ、こんな夜に外を出歩くわけがない」

おれは、男の言っていることがひとつも理解できなかった。さっきの老人もそうだが、田舎とはいえ夜に外出することの何がいけないのだろう。噛まれるとか、野犬じゃないとかさっぱりだ。
「すいませんが、何かあるんですか?」おれは疑心たっぷりに聞いた。

「さっき、そこにいたのは人間じゃない。レンコン人間だ」
「はあ?」

「このへんでは年に一度、特別な日がある。それは必ず新月で、こうやって激しいモヤが起こる」
「ちょっと、ちょっと待ってください」おれは到底、話についていけない。
「そんな日は必ず、田んぼからレンコン人間が這いずり出てくるのさ」男はモヤの中を睨みながら続けた。

「何言ってるんですか? レンコン人間? なんですか?」だめだ、さっぱりだめだ。
「この辺りはレンコン畑が広がっている。畑といっても田んぼだけど。レンコンの田んぼっていうのは、米と違って深さがある」男は話を止めるつもりがないようだ。

「確かに、レンコンの田んぼは深いと聞いたことがありますが」おれは調子を合わせることにした。あまり刺激しない方がいいと思った。

「レンコンの田んぼの深さはだいたいが一メートル以上ある。もっと深い所だと二メートル近くというのもざらにある。この深さに昔のヤクザが目をつけた。都合のいい、死体隠しの場所として」男は車のドアを開けた。

「ヤクザ……。田んぼに死体なんて隠せるんですか?」刑事ドラマのセリフを言っているようで、少し恥ずかしい。

「普通の田んぼでは無理だろうな。しかし、レンコンの田んぼなら深い。重りを背負わせて沈めればもう浮いてこない上、腐敗しても匂いでバレることはない。なぜなら、レンコンの田んぼは臭い。害鳥であるカモを農薬でバンバン殺すから、その死体がたくさん浮かんでる。だから年中、田んぼからは腐敗臭がするのさ。さらに肥料をまくと、もう死体の匂いどころじゃない」男は驚くほど饒舌になって、一気に話した。

「でもさすがに中に入ったらバレるんじゃ」負けじとおれも調子を合わせる。

「そうだな、死体が溶ける前に探されたらバレるだろう。でもそれは無いに等しい。なぜなら田んぼには持ち主以外はめったに入らない。それに、田んぼの持ち主は金がもらえる。その金のおかげで、今まで誰も警察に言ったやつはいないさ」

都合のいい話でおれを騙しているのではないか、そうも思ったが男はあまりにも真剣だった。

「それがレンコン人間になったということですか」なにがレンコン人間だ。

「そうだ。今からちょうど一〇年前、今日みたいな夜に田んぼから這い出てきた」男は車の中から大きな刃物を取り出した。たしか、青竜刀というものではないかと思う。

「すいませんが、全く信じられません。レンコン人間とか……」これ以上、話しを合わせるのが辛くなった。

「まあ、都会の人間からしたらバカバカしい話だと思うだろう。俺も初めて親父から聞かされたときは信じられなかったからな」男はまだモヤの中を睨んでいる。

「正直、すいません」

「さっき人影を見ただろう。あれがレンコン人間だ。今はただのレンコンになっちまったがな」男は再び、レンコンを踏み潰した。

「はあ……。なんで人間の死体がレンコンになるんですか?」バカバカしい質問をしていると自分でも思った。

「それは誰にもわからん。田んぼに埋められた者が、レンコンに乗り移って蘇った。それだけだ」

なんだそれは。

「知っているものは全員、レンコン人間になっちまったからな。さっき噛まれてないかと聞いたのは、そういうことだ」
「噛まれるとレンコンに?」
「そうだ」
「それもやっぱり……」
「ああ、なぜかは分からん」

ああ、早く帰りたい。なんだ。レンコン人間って。死体がレンコンに? 噛まれるとレンコンに? まったくバカバカしい。意味が分からない。おれはこの場所が嫌いだ。

「すいません、大きな国道に出るにはどっちに行けば……」

男の話は一通り聞いた。これだけ話を合わせれば、こいつだって満足しているはずだ。

男はまだ話足りないのか、おれの方へと近づいてきた。手に持っている青竜刀が恐い。これは本物だろうか。

言葉もなく、男は青竜刀を振り上げた。

「え……」おれはつられて、視線を上にあげた。

青龍刀が、おれの右斜後ろに線を書いた。サクッという小気味よい音がして、足元にレンコンが転がった。それは、人間の形をした大きなレンコンだった。

頭と思われる部位が真っ二つに割れて、切り口からは泥が漏れている。生ゴミ置き場を最悪にしたような匂いが鼻をつく。「出たては臭いな」男は顔をしかめた。

「気をつけろよ。レンコン人間からは物音がしない」男は青竜刀についたレンコンの破片を、作業服のズボンでぬぐった。

どういうことだ、男に聞こうとしてやめた。どうせまた「分からない」だ。

そこで、モヤの中で動く数十体の影に気がついた。

「のんびりしているうちに囲まれちまったようだ」男の口の端が上がっているように見える。

「ど、どうすればいいんですか!」おれは男にひっついて言った。

「とにかく噛まれるな。それと、素手で倒せると思うな。レンコンは思っている以上に硬い」

「だからどうすればいいんです!」

「無いよりはマシだろ」言って、男は腰に差したナタを渡してきた。
「いいか、頭だ。頭だけを狙え。やつらは痛みを感じない。だから脚を切っても腕を切ってもだめだ。とにかく頭を壊せ」そう言っている間にも、男はレンコン人間をふたりほどレンコンに戻した。

ああ、早く帰りたい。
おれは、上段に構えたナタをレンコン人間の頭に振り下ろした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?