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憧れだけ

結局未来を妄想する時間が一番楽しい。こんな服を着てこんなキャラ付けでこんな場所で踊ってみたい、とアイドルの動画を見ながら自分に当てはめる。未来だけじゃない、曲を聞きながら、もし私がこれをつくったらどんなMVにするか、とか、歌詞をどう区切るか、とか、全て自分のものみたいな気持ちで先人の経験や知識の詰まった作品を妄想のダシにしている。まあ、言い方が悪いだけで別に悪いことだとは思っていない、むしろいい趣味だと思う。自分の憧れの気持ちがそのまま自分に向く瞬間は気持ちいい。

逆張り特性も相まって、元々個性的な人になりたかった。個性的というよりは量産型になりたくなかった。(ここでの意味は違うけど、量産型があの擬似甘ロリみたいなファッションの名前になってるの改めておかしい)
だから、TikTokに流れてきた尖った韓国ファッションとかやけに露出の多い服をカッコよく着こなす女の人に憧れたりしたけど、よく考えれば憧れている時点で人のアイデアを借りていて、憧れが叶ったところで私のオリジナルはないんだと気付く。オリジナルを作り出す人は確かにいるけど、私が目指すのはそれじゃなかったらしい。
前述したようなファッションが個性的でいられるのは狭い世界にいるからで、都会にいけば個性の嵐でもはや何も見えなくなる。まあそんな都会行ったことないけど。

個性があれば誰かに刺さるけど、刺さらない人からは誰かの互換にしか見えない。好きなアーティストが奇抜な髪色にしていてもその人の世界観を知っているからかっこよさが増すけど、知らない奇抜な髪色のアーティスト(職業関係ないけど)は外面だけ着飾った抜け殻に見える。抜け殻に見えるのは自分が見えてないからだけど、つまり見てくれない人にとったら自分は抜け殻なんだ。なら同じ抜け殻でも目立たなくしていよう…なんて思考にはなれない。目立ちたいしたくさんの人に見られたい。だからって大きな動きなんてせずずっと妄想だけしてる。満足してないけど楽しい。楽しいけどこのまま何者にもなれないのは絶対嫌だ。

ミュージシャンやアイドルは「憧れていたけど趣味で終わると思っていた」「どうせ自分には無理だと思っていた」とよく言う。既に成功した人が言っていると後付けのように感じてしまうけど、実際はそんな一般人が努力なりなんなりで奇跡を掴んで成功するんだろう。中には「色々な巡り合わせが重なって」という人もいる。そういう話を聞くと怖くなる。もし私にもそんな巡り合わせが用意されていたとして、取りこぼさないという自信はない。それこそ奇跡を掴める自信はない、誰にもないと思う。
そもそも私はまだ踏み出してすらない。成功者の中には、既にある程度その分野で実績を残している時を夢が始まる前のことのように話す人もいる。そう考えると、私は本当に何もしていない。ダンス、作詞、イラスト…タネになりそうなものを磨いている段階。これだけで私はスタート地点に立った気になっているのだから、何か実績が出せたらもうめちゃくちゃ嬉しくなると思うし、調子に乗るんだろう。

18歳という年齢は若くないと、憧れるものができてから強く思い始めた。
私の憧れ、ある人は18歳で路上に出て知らない人の前で自分の曲を直接届けていた、ある人は18歳で100万人以上に聞かれる曲を作っていた、ある人は18歳で大手アイドル事務所の練習生として毎日を捧げていた。
なりたいものになるプロセスもわからない、仲間もいないしこれからできる保証もない、でも絶対憧れ続けるだけの抜け殻ではいたくない、焦燥感の中時間だけ過ぎていく。私は怠惰を極めた人間だし、精一杯の努力もしていない。だからこんな不安3:妄想7くらいの悩みなんてふわふわ抱えておくべきだと思っていたけど、こういうことこそブログとして書くべきなのかもしれないと思った。実際普段やってる日記もどきより筆は進む。こういうことをファンがいる立場でやるともっと楽しいんだろうな、もしかしてこれは承認欲求なのかな。でも文章を書くこと自体が好きなのは本当だと思う。

この文章が黒歴史ではなく、若さとして笑えるような成功者になっていたい。



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