中国古典の兵法書六韜に示されたリーダーに「必要な条件」と「不適格な要件」
中国古典の兵法書に六韜(りくとう)という書物があります。この本は六篇から成っており、その一つが「虎の巻」です。現代においても「虎の巻」は、とっておきの秘法の意味で慣用句として残っています。
さて、この六韜の中に、リーダー(将、率いるもの)とはどんな人物であるべきなのかを論じている箇所があります。
曰く、リーダーの条件には「五材・十過」があると。
まず五材とは以下の五つです。
・勇(勇敢)
・智(知恵や洞察力)
・仁(思いやり)
・信(嘘をつかない)
・忠(誠実さ)
リーダーたるもの、上記の5つの才徳を持つ必要があるということで、まあ現代人である我々としても違和感のない項目だと思います。
次に、十過ですが、これは五材とは違って、リーダーとしての不適格な項目です。以下の10の内容です。
・勇敢だが軽はずみな行動をする
・短気でせっかち
・欲が深くて目先の利益に躍らされる
・思いやりがあるんだけど厳しさに欠ける
・どんな相手でも軽々しく信用しちゃう
・自分が誠実であるがゆえに、他人にも同水準を要求する
・あれやこれやと考えすぎて決断できない
・意志が強くてなんでも自分でやってしまう
・意志が弱くてなんでも他人任せにしてしまう
そうなんですよね。五材が過剰に出過ぎるとそれは翻って欠点になってしまうんです。
論語に曰く「過ぎたるは猶及ばざるが如し」とも通じます。
何事も長所は欠点になりやすく、また欠点も向き合い方次第では美点になりえると思うんです。
GWが明けましたが、経済や国際情勢など先行きは不透明な状況のままです。
こんなときは、つい強力なリーダーを求めてしまいます。閉塞感を打破してくれるような強いリーダーに引っ張って行って欲しいって思ってしまう。
そして、こういったリーダーを評価するときって、長所で評価することが多いと思うんです。六韜でいうところの五材のみで。
でも、本当にそれでいいのか。
十過に該当するところもあるんじゃないかと、常に健全な批判精神をもって物事に相対したいものですね。
そんなことを中国の古典の一節から思った次第です。