#0012【フーシェ(フランス、18C末-19C初)】
こんばんは! 1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。
今週は、歴史上の人物に学ぶ処世術を紹介しています。
フランス革命期(1789年から約30年間)に警務大臣として辣腕を振るったジョゼフ・フーシェ(1759年5月~1820年12月)から学びましょう。
読者から、「誰それ?」という声が聞こえてきそうです。ご容赦ください。
さて、この人は「サン・クルーの風見鶏」と言われる世渡りに長けた人でした。風が吹けばなびく風見鶏のように、その時の強者に味方するということから名づけられました。
彼の力の源泉は、警務大臣として秘密警察を管理し、あらゆる情報に精通していたことです。その情報から次の勝者が誰であるかを判断し行動していました。「情報」の重要性は今の世でも変わらず、大事なものです。
彼の世渡りを以下のとおり簡単に纏めてみました。ある種の潔さが感じられる節操のなさです。
1.穏健派として議員になる(1792年)。
2.議会で過激派が主流になると鞍替え。王様(ルイ16世)の死刑判決に賛成投票(1792年)。
3.過激派が倒されると、新体制(総裁政府)に鞍替え。警務大臣に就任(1794年)。
4.ナポレオンが総裁政府を倒すと、すぐにナポレオン側に馳せ参じて、警務大臣のポストを維持(1799年)。
5.ナポレオンに「共和国の国民が皇帝を求めています!」 と皇帝になることを強く要請(1804年ナポレオン皇帝即位)。
6.ナポレオンがワーテルローの戦いで敗れると、ルイ18世(ルイ16世の弟)側につく。ナポレオンを追放(1815年)。
そんな彼も最後は、ルイ18世が支配するフランスで1816年に失脚しました。原因はルイ16世の死刑投票で賛成したからです。
しかし、命までは取られず、フランス国外に家族と一緒に逃れました。彼は死ぬまで、敵対者の秘密情報を持ち続けることで保身に成功します。
フランス革命期の混乱の中では数多くの人が死刑になりました。死刑をスムーズに行えるよう、ギロチンが大活躍した時代です。
この期間、フランスのTopに立った何人もの人間が没落していく中、フーシェは、よくてもNo.2やNo.3のポジションに留まり、決してTopには立ちませんでした。そして、世論の動向やNo.1の様子を見て、おべっかを使いながら、こびへつらって生き抜いたと言っては言いすぎでしょうか。でも、そうでもしなければ自分のクビが本当に落ちていた時代です。
敵対者に容赦しなかったフーシェですが、フランスから追放された後は人が変わったかのように、とても優しくなったと伝えられています。
最期は家族に見守られながら、1820年にイタリアのトリエステで穏やかに亡くなりました。
その時、彼が握っていた秘密情報は全て焼却されました。フーシェは秘密情報を世に出すことなく、死後も自分自身で握り続けることにしたのだと思います。
以上、今週の歴史小話でした!
来週は、世界三大宗教である仏教・キリスト教・イスラム教を取り扱います。宗教がテーマですが、基礎・入門編としてあまり重くならないようにポイントを絞って説明します。
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https://note.mu/1minute_history/m/m814f305c3ae2
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