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#0210【都を夢見て祈ります(菅原孝標女、更級日記)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。
平安の女流作家特集最後は『更級日記(さらしなにっき)』の菅原孝標女(すがわら の たかすえ の むすめ)です。

この方も、本名は伝わっていません。菅原孝標という人の娘であったことから、そのまま呼ばれています。

なお、父である菅原孝標は太宰府天満宮に祀られている学問の神様菅原道真の玄孫(やしゃご、孫の孫)にあたります。

母は、藤原家の血を引いており、一族には学者が多くいました。さらに伯母には『蜻蛉日記』の作者、藤原道綱母(ふじわら の みちつな の はは、こちらも本名が伝わっておらず息子が有名なので、その母という呼ばれ方)がいました。

学問や文芸の道に秀でた血筋でした。

清少納言と紫式部の誕生年がはっきりしない一方、彼女は1008年に出生したことが分かっています。

理由は彼女が残した『更級日記』の始まりが、家族が上総国(現:千葉県)から帰京するタイミングで始まっており、その中で自分がその時、数えで13歳だと述べているからです。

昔の年齢の数え方には、現在我々が一般的に用いている「満年齢」に対して「数え」というものを用いていました。これは、生まれた時を1歳とし、翌年の1月1日に2歳と数えていく方法です。

自分が生まれて何年目が分かるというものです。そのため、x1年12月31日に生まれた子は、x2年1月1日には数えで2歳、満年齢は0歳ということになります。

父の菅原孝標が上総国での任期が満了したのが、1020年だと分かっているため、彼女の生まれは1008(1020年−(13歳-1歳))年だと判明します。

さて、家族で現千葉県から3か月の旅程を経て、京都に戻ると、翌年に上京してきた伯母から『源氏物語』五十余巻などを貰います。

当時、京都から遠く離れた上総国(千葉県)では、元祖文学少女ともいえるほど文学に恋い焦がれていた彼女の欲求を満たす本は手に入りませんでした。

特に源氏物語は「読みたくてたまらない!」と熱望していた作品でした。

昼夜を問わず読み耽ります。

彼女は、上総国にいるときには姉や義母たちが、記憶の範囲で光源氏(源氏物語の主人公)の話をしてくれたのですが、彼女はそれを聞くと「最初から知りたい」と思うのです。

さすがに最初から最後まで姉や義母たちがあらすじを覚えてくれているわけもないので、それが本当にじれったいと『更級日記』に綴っています。

さらに、「もうこれは仏様に祈るしかないわね!」と思い立ち、なんと自分の等身大の薬師仏を作らせて「一日も早く都に帰りたいです。源氏物語を読ませてください」と一心不乱に祈ったといいます。

かなり突飛な行動というか、当時の中級貴族の娘がどんな生活をしていたのか、地方と京都両方の面でわかる『更級日記』は歴史的な価値もありつつ、平易で情感のこもった文章は文学的な価値もあります。

京都に戻ったあとの彼女は、宮仕えをしたのち1040年頃に橘俊通と結婚。一男二女をもうけましたが、夫俊通が1058年に死去すると、子供たちは既に独立していたため彼女は孤独になります。

このあたりで更級日記は終わっています。没年については清少納言・紫式部同様はっきりとしていません。

以上、今週の歴史小話でした!

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発行人:李東潤(りとんゆん)
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