#0004【アレキサンダー大王(ギリシャ、BC4世紀後半)】
こんばんは! 1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。
今週は古代の帝王特集です。本日は、アレキサンダー(アレクサンドロス)大王を取り上げます。
彼は、父王が暗殺されたため、わずか20歳でギリシャ北方のマケドニアの王様になります。
まず、アレキサンダーはギリシャ全体を勢力下に収めます。そして、軍隊を整備しアナトリア半島(現トルコ)に渡ります。
そこには、強大なアケメネス朝ペルシャが存在していました。ギリシャは何度も攻め込まれていましたが、アレキサンダーは逆にペルシャの領域に攻め込みます。
ペルシャを滅ぼし、世界を統一することで平和を実現しようと考えていたのです。これは当時の国力差から考えると誇大妄想に思える野望でした。
しかし、自軍の何倍ものペルシャ軍を幾度となく蹴散らし、遂にペルシャを滅ぼします。彼は戦争にとても強く、騎兵部隊の運用にその強さの根幹がありました。
この時点で現在のギリシャ半島、トルコ、エジプト、シリア、イラク、イランに跨る大帝国を築きあげることに成功します。
さらに世界の隅々まで征服しようとインドに侵入したところで、兵士たちから「もう帰りたい」と進軍を拒否され、彼はそこで軍を引き返します。
どんな英雄であっても部下に背かれてしまっては成す術がありません。
大王は青年期にアリストテレスという高名な哲学者から高度な帝王学を学んだ教養人でした。
軍事面以外にも豊富なアイディアを持っていました。たとえば、民族融和を図るべく、ギリシャ男性とペルシャ女性の集団結婚を執り行います。彼も元ペルシャ王の娘と結婚します。
他にも様々な政策を検討していたと思われますが、そのほとんどは日の目をみませんでした。
なぜなら彼は、ギリシャに戻る途中のバビロン(現イラク)にて33年の短い生涯を閉じたからです。
熱病に罹り、発病から10日あまりでの急死でした。
そのあまりにも早い死は、部下の将軍たちの後継者争いを巻き起こします。争いの渦中で彼の一族も殺されてしまいました。
結局、ギリシャ・ペルシャ・エジプトの領域は再び争いの地と化してしまいます。
しかし、彼の征服行は、交易路の整備やギリシャ文化のアジアへの流入などのメリットをもたらしました。
アレキサンダー大王の名前は、地中海に面したエジプト港湾都市アレキサンドリアとして残り、今も北アフリカ有数の国際都市として栄えています。
以上、本日の歴史小話でした!
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