#0179【力の源泉(シェーエスとナポレオン、フランス革命)】
1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。今週はフランス革命シリーズ。
前回はナポレオンがバラスによってイギリス方面軍の司令官に転出させられたところまででした。話の続きに入る前にもう一人、フランス革命の役者を紹介します。
シェーエスという人物です。彼はフランス革命初期に『第三身分とは何か』というパンフレットを書き、聖職者(第一身分)や貴族(第二身分)ではなく一般民衆(第三身分)こそが国を支えているのだと檄を飛ばしました。
法律家として、民衆からの信頼も厚かったシェーエスは革命時代を通して活躍を続けていきます。度重なる革命政府の混乱に際しても様々な場面で法律家として実務面での支えを成していきます。
彼の有名な発言の一つとして、議会の在り方について述べた言葉があります。議会は一院制がよいのか二院制がよいのかについてです。
「もし他方の議会が同調するのであれば、その議会は不要だ。また、もし他方の議会が反対するのであれば政治は混乱してしまうため、その議会は不要だ。」
どちらにしろ議会は一つだけで良いのだという主張です。現在のフランスが実質的には一院制であることは、こういった考えにルーツがあるのかもしれません。
さて、シェーエスはバラスが中心となった総裁政府の中でも着実にステップアップをしていきます。やがて5人の総裁の一人になるのでした。
その頃になるとバラスの腐敗政治は誰の目にも明らかであり、何とか改革をしなければ先行きはない状況でした。
ナポレオンがイタリア遠征での勝利でもたらした賠償金も既に底をついていたのです。
シェーエスはクーデターを検討しますが、そのための軍事力を有していませんでした。さらに間が悪いことに、その頃ナポレオンはフランスを不在としていました。
イギリス方面軍の司令官として、なんとエジプト遠征に出かけていたのです。
イギリスの富の源泉の一つであるエジプトを奪取することはイギリスへ打撃を与えることに繋がるとして、手柄の立て方などないと思われたポジションから逆転の発想をしていたのです。
遠征軍には学者も多く含まれており、現在古代エジプトについて詳しく分かっているのは、この遠征の時に発見されたロゼッタ・ストーンを元に古代エジプト文字の解読ができたからです。
また、ナポレオンが「ピラミッドから数千年の歴史が諸君らの活躍を見ているぞ」と兵士を鼓舞したのもこの時です。
しかし、フランス艦隊は壊滅させられ、ナポレオンの目論見通りにエジプト遠征は進まず、さらにフランス本土が危機に瀕していることを知ったナポレオンは一部のメンバーを連れてエジプトを脱出しました。
政府の命令なしに無断帰国したナポレオンは敵前逃亡罪で処罰されてもおかしくない状況でしたが、民衆はイタリア遠征の英雄の帰還を歓迎します。
シェーエスはこれを見て、ナポレオンと組むことを決めます。そして1799年ブリュメール(霧月、11月ごろ)にクーデターを起こして、総裁政府を打倒し、三人の統領からなる統領政府を成立させます。
バラスも遂に政治の中枢から外れますが、彼はその後の波乱も何とかのりきり、1829年に73年の天寿を全うしました。
シェーエスは法律家としての実務能力も高い自分が権力の中枢を握れると思いましたが、ナポレオンの三頭政治はうまくいかないという主張に押され、権力の座をナポレオンに奪われてしまいます。
フランスはどう歩むのでしょうか。続きは次回です。
以上、本日の歴史小話でした!
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