#0119【名将の下に勇者が集う(ポエニ戦争・ハンニバル)】
1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。
ポエニ戦争特集第二回は、名将ハンニバルを中心に話を進めます。
第一次ポエニ戦争はローマの勝利で終わりました。賠償金の制裁や貿易の制限などを科せられたカルタゴは、新規植民地経営を通じて再興を試みます。
カルタゴ・ノヴァ(新カルタゴ)と名付けられた都市をスペインに建設し力を蓄えていきました。
この植民地経営の責任者がハンニバルの父でしたが、彼はローマへの復讐の志半ばで死去してしまいます。
ハンニバルは父の遺志を受け継ぎながら、対ローマ戦争における戦略・戦術を練ります。
第一次ポエニ戦争で対外戦争におけるローマの強さを見たハンニバルは、ローマの本拠地であるイタリア半島への進撃が有効だと思いつきます。
しかし、第一次ポエニ戦争後の条約で艦隊保有数が制限されていたカルタゴは、軍隊を北アフリカからイタリアに派遣する方法がありませんでした。徐々にローマとの再戦の準備を整えていったカルタゴでしたが、この問題が最後の壁としてそびえました。
この難問に対して、ハンニバルが出した答えは、スペインから陸伝いにイタリアへ攻め込むというものでした。この戦略をもって、ハンニバルはBC219年に対ローマ戦争を開始します。
海路がダメなら陸路からということですが、これは現代の我々が考える以上に大変なことでした。
まず、ハンニバルは主戦力としてアフリカ象部隊を用意します。このアフリカ象を引き連れて、スペインからピレネー山脈を越えてフランスに侵入します。ハンニバルに敵対する部族たちを制圧しながら、進みました。
その先にはアルプス山脈が控えています。ハンニバルは兵士たちを鼓舞し、寒さに弱いアフリカ象と共に越えていったのでした。30頭いた象は3頭にまで激減しますが、温暖なイタリアへと入ってからはこの3頭が大いに活躍します。
突如として、ローマの防衛線の裏側からやってきたハンニバル軍団にローマは驚きますが、部隊を編成して迎え撃ちます。
ハンニバルはローマの部隊を次々に粉砕していきます。業を煮やしたローマは圧倒的な大軍を用意して、ハンニバルを倒そうと決意します。
史上名高いカンネー(カンナエ)の戦いが勃発します。
ハンニバルの2倍の兵力を集めたローマは勝利を確信していましたが、ハンニバルの巧みな用兵の結果、半数のハンニバルに逆に包囲殲滅される大惨敗を喫してしまいます。
ローマは立ち直れない程の衝撃を受けますが、ハンニバルの軍団も消耗を重ねたことから、ローマへの進軍を一旦あきらめ、南イタリアの豊かな穀倉地帯に進出します。
カンネーの戦いの大敗北の後、ローマはハンニバルとの正面決戦を避け、持久戦に持ち込むことにしました。最強のハンニバルも、戦ってもらえなければその力を発揮することができません。
持久戦が展開されていた間に、ハンニバル不在の地域での戦況がカルタゴにとって不利な情勢に陥り、ローマがカルタゴ本土へと攻め込んでくる事態となりました。
ローマを目の前にしていたハンニバルに急遽帰国命令が出ます。BC202年のことでした。
ハンニバルとカルタゴの運命はどうなるのか。
以上、本日の歴史小話でした!
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発行人:李東潤(りとんゆん)
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