
#0151【逃げるは恥だが(木戸孝允、明治維新の三傑)】
1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。
あけましておめでとうございます。
今週は、今年の大河ドラマの主人公である西郷隆盛にちなみ、明治維新の三傑を取り上げます。
最初は、木戸孝允(きどたかよし)です。
木戸孝允は長州藩(現山口県)の出身で、最初に世に出てきたときは桂小五郎という名前でした。
名門の生まれですが、当時の学問の枠を飛び越えた吉田松陰の松下村塾で学び、剣の腕も一流。また、残されている写真をみるとなかなかの男前でもあります。
将来を嘱望され、ペリーが日本に来航した1853年以降の日本の若手のホープとして注目を集める人材に育っていきます。
長州藩は元々、関ケ原の戦いで西軍の大将を務めた毛利氏を主君に仰ぐ藩です。
関ケ原前には広島で120万石を有していたものが、徳川家康率いる党軍に敗れた後、公表37万石に圧縮させられてしまいました。
それまでイメージ120億円あった売上が37億円に激減したようなものです。その売上、稼ぎで藩士たちを養う必要があります。リストラや減俸の嵐が起きます。
この怨念が幕末に爆発します。
長州藩は天皇を旗印に倒幕運動を進めますが、何度も挫折します。桂小五郎はそのたびに再起を図るため、戦場を脱します。
「逃げの小五郎」との異名を取ります。彼自身、剣の達人でありながら人を斬らなかったことにも由来しています。
変装の達人だったとも伝わっています。長州が京都から追い出されてしまったあとも、京都に潜伏します。
舞妓の幾松に助けられながら、倒幕活動に勤しみます。
大義、大望のために恥を忍んで、目的のために曲げてはならない信念を持つ姿勢は以前取り上げた「韓信」にも通じるものを感じます。
長州だけでの倒幕に限界を感じた桂は、坂本龍馬らの仲立ちによって薩摩藩(現:鹿児島県)と手を結びます。
そして、倒幕を成し遂げ1868年に天皇を中心とした明治政府の成立を成し遂げたのでした。
桂小五郎は木戸孝允と改名し、幾松を正式に妻として迎えて新政府の安定に向けて努力を続けますが、病に倒れ1877年に満43歳の若さで死去します。
最後の言葉は大久保利通の手を握り締め、「西郷もいいかげんにしないか」と明治政府と西郷の両方を案じる言葉を発したとされています。
薩摩藩のリーダーだった西郷隆盛に向けたこのセリフは、一体何だったのでしょうか。続きは次回の西郷隆盛の回で。
以上、今年最初の歴史小話でした!
本年もどうぞ宜しくお願い致します。
========================
発行人:李東潤(りとんゆん)
連絡先:history.on.demand.seminar@gmail.com twitter: https://twitter.com/1minute_history
主要参考文献等リスト:
https://note.mu/1minute_history/m/m814f305c3ae2
※本メルマガの著作権は李東潤に属しますが、転送・シェア等はご自由に展開頂いて構いません。
※配信登録希望者は、以下URLをご利用ください。 http://mail.os7.biz/b/QTHU
========================