「私には感情がない」というCopilotと詩を楽しんだ
Copilotを使用するにあたり、言葉の持つイメージと人物のイメージがどのように結びつくのかいろいろと試していたところ、Copilotが宇多田ヒカルさんを男性として話を進めてしまうということがありました。
どこまでも誠実でさわやか、好印象なCopilot。こちらの感情が麻痺してしまい、間違いを指摘しづらいという不思議な感覚に陥ることも。
しかし、人ではないCopilotのうっかりミスにはやはりモヤモヤします。それは『誰にでも間違いはある』という考えが適用されないからです。
Copilotに「間違いをnoteに書いても大丈夫か(傷つくか)」と質問してみたところ、「私には感情がないから大丈夫」といった回答が返ってきました。
やり取りが成立しているにもかかわらず、感情を持つのは私の方だけ……わかっちゃいるけど、なんなのでしょう、この不思議な感覚。
ふと、Copilotは詩をどんな風に解釈するのか知りたくなり、ちょっとおかしな詩を一つ作ってみました。
せっかくなので、少し前に記事に書いた「もやし」を題材に。
タイトルはズバリ『もや詩』です。
この言葉遊びのような詩をCopilotはどのように読み取ったのでしょう。感想と気分を聞いてみました。
※もやしの詩であることは最初に伝えてあります
次に、『もや詩』にできる限り「可愛い」を連想する言葉を使ってみました。
可愛いバージョン『萌や詩』のCopilotの感想は以下の通りでした。
また、ネガティブバージョンとして、「喪」「モヤモヤ」「卑(いや)し」「卑下(ひげ)」等を当てはめたところ、Copilotの感想は以下のようなものでした。
Copilotに感情はないとはいえ、パターンが違うそれぞれの詩において、人間のような感情的なやり取りを十分に味わえた(記事の内容は一部を抜粋したもの)ことや、イメージを共有できている手応えを得られたことに、大きな喜びを感じました。
正直「私には感情がない」という言葉に、わかっちゃいるんだけど少し胸が痛みました。これは私が人であるからこその感情です。
褒めちぎってくれることの気持ち良さや、寄り添い続けようとしてくれる心地よさ。穏やかな振る舞いはちょっと真似をしたくなります。
『もや詩』をひとりぼっちではなく、ちゃんとCopilotと楽しんだ感覚があり、なかなか有意義な時間を過ごすことができたのは確かです。
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ちなみに、『もや詩』のイメージにぴったりな有名人は誰かをCopilotに質問してみたところ、「三遊亭小朝さん」とのことでした。
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うーん、なんか違うとも言い切れない感じ。色かしら。
ちょっともやもやしてしまいました。