「エルマーのぼうけん」を前に、思い出を育てるということ
そろそろ「エルマーのぼうけん」を読もうと思っているのだけれど……なんだかもったいなくて読めないままでいる。
というのも、「どんなお話?」と検索をして、ちょっとだけ……ちょっとだけ……と指の隙間から薄目ですこーし見てみたら、当時の光景がブワッと蘇ってしまったのだ。
年老いた猫が登場する……なるほど、当時我が家には「おちゃめちゃん」という老猫がいて、一人っ子のトモ郎はいつも彼女と一緒にいたのだ。だから……
……これ以上は思い出さないようにする。
なぜなら、環境を整えて最高の状態で“ご褒美の時”を迎えたいと思っているから。
別に揺り椅子とひざ掛けを用意するとか、美味しい紅茶とケーキをいただきながらとかではない。
一日を心穏やかに過ごし、寝支度を調え、一人静かにゆったりとした気持ちでお布団の中で……というのが理想。これぞ最高のご褒美である。
しかし、これをいつにするかを考えるたびに「まだもったいない」という気持ちになってしまうのだ。
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トモ郎が二十歳を迎えたとき、音楽を通して知り合った人生の先輩から、生まれ年のウイスキーを贈られ、大事に抱えながら帰宅したことがあった。
「本当はこのまま飲んだ方が味がわかるらしいよ」
なんて生意気なことを言いながら、何のためらいもなく開封し、私にソーダ割りを作ってくれた。
帰り道、トモ郎はどんな思いでいたのか。どんなことを思い出しながらいたのか。
二人ともそれほど言葉を交わさなかったけれど……とても良い夜だった。
ウイスキーが静かに寝ていた間、我が家はそれなりに色々なことかあった。人生は決していいことばかりだけではない。
しかしこの晩、可愛い思い出も、あれもこれも、全部ひっくるめて良い思い出として私の胸に刻まれた。
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「思い出」というのは良くも悪くも簡単に上塗りされてしまうし、思い込みで自ら都合よく書き換えてしまったり、歪めてしまったりもする。だから大切に扱わなければならない。
ほぼウイスキーと同じ年月寝かされていた「エルマーのぼうけんの思い出」は、保存状態も良く、誰とも共有されていない純度100%の貴重な思い出。
トモ郎に「エルマーのぼうけんって覚えてる?」って聞くか迷ったけど結局聞かなかったのは、私の中のあの幸せなひとときが、あのままであって欲しいと思ったから。
誰かと共有して賑やかなものに変わってしまうのがイヤだったのだ。
ウイスキーの思い出はなんとなくそれまでの人生の一区切りみたいになったけれど、エルマーの思い出は違う。これから育てたい思い出。
何せ未だ詳細を知らないままなのだ。
noteを始めたことで長い眠りから目覚めた「エルマーのぼうけん」の思い出。それを記事にし、またこうして記事を書いている。
思い出が少しずつ育っている。
……近々体調と寝床を整え静かにその時を迎えるぞ、と思いながらnoteを書いているのもすべて思い出に変わるのだ。
将来身動きが取れなくなって、孤独を感じる時が来るだろう。そんな時に心に寄り添ってくれるような思い出を一つでも多く持っていたい。
だから私は更に20年後の自分のために、この思い出を家族に内緒でこっそりと育て、大切に温めておこうと思っている。