ブッダボットへ浄土教系の協力を望む

 昨今、生成AIの台頭が激しい。当然、その学習内容はみな欧米の唯物主義を養分とするはずなので、基本的に凡夫(人間・約生)側の考え方だ。必然に、それに浸ってきた現代人は、みな約生の考え方のみになる。前の拙稿で紹介の動画からわかる通り、かなり答えが裏切られている。(もっとも、動画サイトを見ていると煽りや陰謀ばかりで、約生ですらまともに考えることもできないが)

 京都大学などで、仏ならどう人の問いに答えるか、のブッダボットを研究しているという。天台宗青蓮院との問題意識からだそうだ。
https://project.nikkeibp.co.jp/behealth/atcl/feature/00003/101300245/

 続報が乏しいが、近現代の知に基づけば、おそらく凡智(約生)側が強くなるのではないか。なので、仏智(約仏)視点の例をことばに落としてくれるチャットボットはできないだろうか、と思う次第だ。

 この約仏対約生という対立は、人間自体や思考自体を包含し、つまり人間にとっては高次元で、仏教に拠らなければ、たとえ生物界を操作すらする人間からも、たとえ哲学からも現れえない概念だろう。(部外者の自分なぞがこんな専門語をつかうのも非常に危なっかしい気もする―誤用があれば指摘いただきたい)
 ボットの、関数としての機械的な解答である応答に不安がないことはないが、現代の我々の、約生に凝り固まった思考に、違った景色を見せることは可能ではないだろうか。まさか、ひと千人殺してんや然らば往生は一定すべしとか、近江の湖を一人してうめよとか言われても困るが。無論、懸念の一つは、その回答をまたしてもしっかと人の知で握りしめ、琵琶湖を一人で埋めてみせようと意気込む人々が増えることだが、それよりも、思考の新しい基底を切望する人々に提供できることを優先したい。
 ブッダの知性の再現は難しい、あえて誤訳を恐れず、と記事で明言されている通り、約仏視点でチャットボットや生成AIを組み上げることは不可能に違いない。
 しかしあまりにそんな、お前なんか帰れと言われたので帰りました、のような凡智視点で固められてしまった我々の世界観人生観を、まずは揺るがす必要がある。凡智視点の生成AI氾濫がもたらす未来は、発想が過去と同じであるため過去と同じ歴史を早く引き付けることは明白なのだ。ちょうどこんなことも述べられていた。

いま私たちに求められているのは「創造主が全てを造ったという一神教と、AIのパラダイム(規範となる考え方)を相対化する発想」

AIからの警告 脅威は主体性の喪失にある(11月6日付)中外日報社説

 AIを相対化する、まさにこれに応じられる発想こそ仏智・約仏の視点ではないだろうか。
 浄土教の立場からAIチャットボットを試作する意味はないだろうか。自力や人間の教えのみの知性では、約仏視点の有り様を読み取ることは困難だろう。千年以上かかったのだから。“誤訳を恐れず”へ対して協力・支援を期待する。


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