みすずゆきと

この名を出すの16年以来だそう…… ごく稀に、各地の駅ノートにつぶやいています。 たぶ…

みすずゆきと

この名を出すの16年以来だそう…… ごく稀に、各地の駅ノートにつぶやいています。 たぶん世に疎まれる/斜に構えた/メタ的な/うぜーことしか言えません。 生きることが不得手の上、何かの専門家でもないので、未だページの方向性決まっていませんが、少しづつ出せるものを出していこうかと…

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  • 私の壁に次の色を

    興味つれづれに、140字つぶやきに収まらない雑感を書き下ろします。たぶん前のブログほどはないです。

  • 日常のつぶやき

    目から何かウとかナとか落っことしても知らんでー もし落っことしたらそれ拾うので1割ください

  • マイ浄土真宗観(by非関係者

    新しい「領解文」をきっかけに、厭世に呼び戻されました。 仏教・浄土真宗に対する個人的な思いを束ねます。 なお現在、当該関連団体の関係者ではありません

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「ヒトに金」は、 「ネコに小判」と 結局そんなに違わない

    • 「加賀塾」と「ジャンボタニシ農法」騒動のメモ

       選挙の熱気が落ち着いたはずなので、参政党のことについてびっくりを簡単にメモ(多すぎて見切れない)。週刊誌にも出てるそうだから、一部では有名な現実だろう。 現職国会議員の元公設秘書が……  23年12月、参政党のある重要関係者(現職国会議員の元公設秘書)Hさんが自殺したという、ただならぬ話を先の衆院選を前に知った。見ていくと、多くの人たちが参政党関係者の行動に反感を抱いていることがわかる。  参政党は「加賀塾」で話題になったことがある。高校生を代表に、地域活動を盛り上げ

      • Aiを過信すると、日本語によるフィルターバブルに捉えられそうだぞ…… 日本が自民党にひっしとつかまってずぶずぶに沈んだように…… なぜなら、Aiが情報を日本語のみから取得するから。 人々がAiをもろ手を挙げて賛美する傾向だから、これは継続して訴えていかなきゃならないかもしれん。

        • 新しい領解文「本来一つゆえ」が私に生んだ領解(5000字)

           発布から1年余が過ぎるもいまだ物議をかもしている、浄土真宗本願寺派の「新しい『領解文』(浄土真宗のみ教え)」。この中でずっとモヤモヤさせられている、第一段の「本来一つゆえ」について吐き出したい。そしてモヤモヤの中で自分が真宗理解について一つ考えたことがあり、今の自分の真宗の領解を、ここに示してみたい。 新しい「領解文」として発布された改めて題材の紹介  「領解文」や新しい「領解文」混乱の経緯などについては次の有志の記事で随時更新されています。  「新しい『領解文』(浄

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          現代人はただ人生を、モノを消費する経済活動に費やす(明け暮れる)“経活”だと思い込ませられているに等しい。 国の代表からして、「経済、経済、経済」と音痴のくせにただピーピー鳴いている。

          現代人はただ人生を、モノを消費する経済活動に費やす(明け暮れる)“経活”だと思い込ませられているに等しい。 国の代表からして、「経済、経済、経済」と音痴のくせにただピーピー鳴いている。

          仏法を聴くと科学の小ささがわかる。しかも科学が小さいのでなく人間が小さいとわかる。人間にとって科学は大きい。 だから科学者がその学や知で大きな態度をしても、人間相手なら通じるがダルマには通じない。 そして、科学者も自己が人間であることに屈する。 (どれが重要という話ではない)

          仏法を聴くと科学の小ささがわかる。しかも科学が小さいのでなく人間が小さいとわかる。人間にとって科学は大きい。 だから科学者がその学や知で大きな態度をしても、人間相手なら通じるがダルマには通じない。 そして、科学者も自己が人間であることに屈する。 (どれが重要という話ではない)

          利益最大化の無益さ 経営の場面ではよく、「利益最大化」が求められる。しかし現実には、相手や場面により応対を替える臨機応変は時に、おべっか/二枚舌になる(政治屋がまさにやっている)。 つまり利益最大化を目指すことによって裏の顔を持つことになるから、それによって失うものは「信用」。

          利益最大化の無益さ 経営の場面ではよく、「利益最大化」が求められる。しかし現実には、相手や場面により応対を替える臨機応変は時に、おべっか/二枚舌になる(政治屋がまさにやっている)。 つまり利益最大化を目指すことによって裏の顔を持つことになるから、それによって失うものは「信用」。

          お金は、 お金そのものは腐らないが、 お金は、人を 腐らせる。 つまりたくさん持つのはよくない。

          お金は、 お金そのものは腐らないが、 お金は、人を 腐らせる。 つまりたくさん持つのはよくない。

          「悪銭身につかず」という言葉がある。 悪いことで手に入れた銭はろくな遣い方をせず浪費し手元に残らないことをいう。つまり銭金の遣い方は人を表す。 やはり生活を見れば人がわかるのだな。 (別に不相応なことまでして生活を律せよと言うつもりはない)

          「悪銭身につかず」という言葉がある。 悪いことで手に入れた銭はろくな遣い方をせず浪費し手元に残らないことをいう。つまり銭金の遣い方は人を表す。 やはり生活を見れば人がわかるのだな。 (別に不相応なことまでして生活を律せよと言うつもりはない)

          震度7地震発生時は、米国山岳部時間で、年越しのまさに直後。太平洋時間で50分前。 きっと祝賀ムードだったことだろう。

          震度7地震発生時は、米国山岳部時間で、年越しのまさに直後。太平洋時間で50分前。 きっと祝賀ムードだったことだろう。

          除夜の鐘ついてきた。 日本の仏教では、新年を殊更に騒がない。ただ厳かに迎える。新年は死への一里塚だから。 深い仏教を聴いていると感じる。 年齢を重ねるのは、身体の成長の都合上や法律上等諸々の現代社会関係上により同月同日とするが、 理解上は元旦でもよいのだと。

          除夜の鐘ついてきた。 日本の仏教では、新年を殊更に騒がない。ただ厳かに迎える。新年は死への一里塚だから。 深い仏教を聴いていると感じる。 年齢を重ねるのは、身体の成長の都合上や法律上等諸々の現代社会関係上により同月同日とするが、 理解上は元旦でもよいのだと。

          雪がまず積もらない地の人は、古来雪を雪月花として愛でるが、過重な雪の現実は、人を生気の世界から隔絶させる。 かの人は、地表一面を覆うくるぶしほどの僅かな積雪に、新世界ニューワールドを見るような顔をする。降雪集中地には、背丈の倍も3倍も積もる。上から雪を眺め、酌み交わす情緒はない。

          雪がまず積もらない地の人は、古来雪を雪月花として愛でるが、過重な雪の現実は、人を生気の世界から隔絶させる。 かの人は、地表一面を覆うくるぶしほどの僅かな積雪に、新世界ニューワールドを見るような顔をする。降雪集中地には、背丈の倍も3倍も積もる。上から雪を眺め、酌み交わす情緒はない。

          仏教(仏法)は、究極何も生まない。当然なのだけど。何か生んだら、それは人智内でイコールこの世界のものだから、それは消えるもの。至極当然なのだけど、どうにも人の頭としては受け入れ難い。 どんなに自己を否定したくても、自己の望む行動しかできない。 つまり、「わかる」話は真理にたがう

          仏教(仏法)は、究極何も生まない。当然なのだけど。何か生んだら、それは人智内でイコールこの世界のものだから、それは消えるもの。至極当然なのだけど、どうにも人の頭としては受け入れ難い。 どんなに自己を否定したくても、自己の望む行動しかできない。 つまり、「わかる」話は真理にたがう

          なんだか「やった者勝ち」でもいいような気がしてきた、からの思考

           なんだか「やった者勝ち」でもいいような気がしてきた。なぜなら、結論が出せず何も進められないから。  少なくとも思考力の粗末な自分の中では。  ただしそれは、意思において、倫理的善を諦めることを意味する。となれば、善を願い続ける意思自体が、念々に諦めを要求され、苦しみを生み続けることになる。  「善でありたい」と願うことすら、苦しみの原因で間断のない悪という帰結になる。  一言で言えば、良心さえそのまま悪(苦)であると。  親鸞は「(私は)善ができない」と語っている、と自

          なんだか「やった者勝ち」でもいいような気がしてきた、からの思考

          短文)贖

           人は無限に罪つくりである。  そのところの無限に罪つくりの人は、無償・無限の愛で以てのみ、自己の罪にさいなまれることから救われ精神的に存立できよう。それは罪の補償であり裁可であり(肯定ではない)、全ての贖いを引き受けてもらうこと。 ~あえていうなら、徳政令のようなもの。  だからこそ、罪過を我が身に感じない者は救いを感じない。  我々は必然に罪をつくる。この罪とは(結果的に)、自己の生きる姿そのまま。  (死を含め)生きるとは無限の罪による無限の苦であるゆえ、苦の離脱は根

          世界に一つだけの花から新しい領解文へと辿る共通項

           今回は、オンリーワン観への違和感を記します。浄土真宗本願寺派が発布した、「新しい『領解文』(浄土真宗のみ教え)」(以下、新しい領解文)が内在する危険と、有名な歌を借用し、社会に照らし合わせその危険の傍証を試み記します。  ある方が、新しい領解文を肯定する意見を、一縷の望みにかけて熱心に探しておられます。もちろん肯定できればそれに越したことはないですが、証明を以て新しい領解文の客観的な肯定は不可能となるのではないでしょうか。 むやみやたらに承認を欲するならば  題材は次の

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