戦闘モードを通り抜けて|2024.8.31
育休を終えて仕事に復帰してから4ヵ月ほどたった。この間のことを振り返ろうとしても、なかなか思い出せない。あまりにも頻繁に切羽詰まっていて、少し離れてみるともう、その時々の気持ちがまったくわからなくなっているのだ。復帰後1ヵ月がたったころに書きかけて保存してあった日記を見てみると、以下のように書いてあった。
けっこうな苦しみようじゃないか、と思うけれど、もうその時の感情は全くなくなっているので、「本当か?」という感じである。そのくらい、今はのほほんとした心境になっているということなので、自分のことながら「よかったねえ」と思う。
このときの感情は忘れたけれど、背景は多少覚えている。覚えているというか、背景となる状況自体はおそらく今もあまり変わっていない。慣れの問題が大きかったようだ。その状況とは何かというと、つまり「夫婦だけで育児しながら共働きするということをめぐる困難」である。
具体的にいうと、主には、子が体調を崩して保育園に行けないときにどうするのかという問題だ。それは、私が仕事と育児の優先順位をどう捉えるのかという(そんな大ざっぱな問題設定では到底解決などしない)問題でもあった。
子どもの命と仕事だったら、迷わず子どもの命を取る。子どもの大怪我や大病への対応と仕事だったら、迷わず子どものほうを取る。子どもの風邪と締切の遠い仕事だったら、子どもの風邪のほうを取る。じゃあ子どもの風邪と締切が近い仕事だったら……? これだけの情報では判断できない。子どもの熱が39度あったら、仕事ではなく子どもを取る。子どもの熱が38度だったら、おそらく子どもほうを取る。でも、その日にお客様との打ち合わせが入っていたらどうするか。……まだ判断できない。その打ち合わせは延期または欠席しても支障ないものか、それともそのどちらもしたくないものなのか。後者なら、夫に子を病院に連れていけないか聞いてみるだろう。だめなら、自分で病院にできるかぎり早く連れていき、その後病児対応ベビーシッターの手配か病児保育室に預ける手続きをするだろう。打ち合わせまでに間に合わないならもう、仕事の関係者に謝罪し、予定変更を願い出るだろう。
これだけならまだ単純明快だけれど、例えば子どもの熱が37.5度だとして、咳と鼻水が出ていたら早めに病院に行って薬をもらったほうがいい気がするが、仕事の緊急度とのバランスを考えて決めることになるだろう。仕事が立て込んでいるなら夫に相談し、代わってもらうのが無理なら……、たぶん、気が咎めながらも仕事のほうを取る。でも、それがもし金曜日だったら、土日はかかりつけ医が休みなので、もう仕事は諦めたほうがいいだろう。あるいは嘔吐や下痢をしているなら、たとえ熱がなくても保育園は休ませて家で1日は様子を見たほうがいいだろう。じゃあ食欲がなくて、下痢とは言わないまでもお腹がゆるかったら? 1日なら保育園に送り出して様子を見てもいいだろうし、何日も続いてるなら休ませて病院に行きたいところだ。では仕事の状況はどうか、締め切りが近いな、夫の都合はどうか、無理ではないがけっこう厳しいか、じゃあやはり私の仕事のほうを調整しよう。
子が体調を崩すたびに、こういう判断を強いられるのが、とてもつらかったのだと思う。最初の頃は選択肢や判断基準さえもよくわからなかったので、なおさらだ。段取りが後手に回りすぎた結果(子、熱出ちゃったよ! 今日、私、休もうか、それともあなたは休めるの? え、今何時かって? 朝6時だよ。え、ベビーシッター? 病児保育? 手続きできてないよ! え、いくらかかる? 調べられてないよ! え、病院は何時から始まるって? 調べないとわからないよ! 私は休めないのかって? ちょっと待ってスケジュール表を見て考えるよ! みたいなありさま)、夫に困惑を示されて泣きそうになったりした。今思うと、パニックに陥っていて、とにかく早く誰かに寄り添ってもらいたかったんだなと思う。その気持ちもわかる(なにせ自分のことだからね、本当によくわかる。本当に本当に、そうだよね、きつかったよね、不安だったよね、とわかる)けど、熱が出る前に選択肢を考えてそれなりに準備しておけばよかったとも思う。日々の緊張と忙しさのなかで、備えをしっかりするのは簡単ではないのだけど(私みたいに行き当たりばったりになりがちな性格の人にとってはかなりハードルが高いことなのだけど)、それでも、避けられない困難をなるべく小さな困難にするためには備えておく価値があるし、むしろ嫌でもやっておかないと大変な思いをするからやっておこうなと、今ならそう思う。
さて、一難去ってまた一難とはこのこと……ではないと思うけれど、無事に子の処遇が決まったり、子の体調が改善したりして私が仕事を再開したときには大抵、もう一つの葛藤と向き合うことになるのだった。というのは、子の看護による寝不足や精神的な疲れが溜まっていて、明らかにいつもの半分くらいの気力しかないという状態で仕事をすることになるからだ。やっと仕事できる、締切も迫る、でも疲れていてやる気が出ない、うまく頭が働かない、せっかく仕事できるのに、みたいな無能感に苛まれるのだ。心身の余裕がすり減って、涙もろくなったり、怒りっぽくなったりする。
そういう状態で、他人から「どうしてそんなに疲れてまで働くの?」とか、「育児を優先したほうがいいんじゃない」とか、あるいは「育児が優先だもんね、仕事は力抜いて」とか、「仕事は仕事だから、がんばって」とか──あらゆるバリエーションが考えられるし、これらはぜんぶ、別に誰からも言われてはいないのだけど──言われたらどう反論しようか、などということを延々と頭の中で反芻しているので、心が休まるわけはないのだった。
育児を優先せざるを得ない局面が頻発するのはたしかだけれども、だからと言って毎日そうではなく、通常は1日6時間きっちり働いて仕事に全力を尽くしているので、この状況をもって「育児を優先している」と捉えられるとしたら心外だった。だいぶ少なめに見積もっても、私の割ける労力のうち6:4の割合で仕事を優先しているのが現実なのだ。それでも、やはり他の人と比べてしまえば仕事にかけられる時間と気力は限られているので、そのぶん育児を優先しているのもまた事実で、そう見られるのも受け入れざるを得ない。ただ、時短したぶんの給与はきっちりと8分の6に減っているのであって、それでじゅうぶん報いは受けているのだから、これ以上、「時短勤務だからって他の人と見劣りしないように成果をより高く出さなきゃ」みたいなプレッシャーを自分に課す必要はないはず、と変に保身的に構えたりもした。
こうして心に嵐を抱えている間、想像上の他者に対して自分の意見を何度も何度も論じているうちに、日常的にも脳が戦闘モードになっていたような気がする。思えば仕事中はもちろん、家に帰っても、簡単には笑わないように努めるようになっていた。正確に言うと、楽しいと思ったときには迷わず笑うのだけど、楽しくない時には絶対に笑うまいとしていた。交渉や駆け引きのなかで使う戦術みたいなものを、ほぼ常に意識して過ごしていたのだから、これは戦闘体勢と言っていいだろう。
ふと気づいたら今は、このファイティングポーズを緩めることができている。ゆるゆると、へらへらとして、でも言いたいことは言うみたいな、通常運転ができるようになった。それはきっと、仕事でも家庭でも溢れ出てしまった私の戦闘体勢を感じてそれに相対してくれた人々のおかげなのだと思う。私が好き好んで議論をふっかけていたのだろう、上司をはじめとして、職場で何人も何人もの人と1対1で話し合う機会をもらった。半ば震えながら、自分のコミュニケーション能力を総動員して意見をぶつけていくなかで、それが必ずしも跳ね返されず、吸収されたり、意外にも嬉しい提案となって返ってきたりすることを肌で感じたために、「もしかして、敵ではない……?」と、内なる戦闘員が気づいてくれたのかもしれない。
戦闘期間を経て、いいことが2つあった。1つは、やはりどうしてもやりたかった社内広報的な仕事を、もう一度担当できることになったことだ。自分が7年も8年も同じ会社で働いているという奇跡を起こしてくれているこの会社をもっとよいものにしたい、私だけでなく、なるべく多くの人たちがよりよく生きられる場所にしたい、みたいな思いがずっとあり、それに対して私ができることと言ったら、「たくさん聞いて、書いて、伝えること」なのだという気持ちに従って、今の会社での社内広報(簡単にいえば、社員がそれぞれ自分の意見を言葉にできて、それが他の社員の共感や協力を得て、経営陣にちゃんと届いて、時には経営方針や施策に影響を与えるという仕組みを作ること。それが機能しているのが見えることで、自分自身が会社に影響を与えている、あるいは今後与えうるという実感が持てるのではないか。いわゆるエンゲージメントが高い人というのは、そういう実感を持っている人に多いのではないか、などと思っている)に取り組みたいと自己主張していたところ、やりたいならやりなさい、戦略的にやりなさいということで、9月から、社内広報をちゃんと業務として担当できるようになった。私の話を聞いてくれて、賛同や応援を表してくれた諸先輩がたや同僚たちには感謝しきれない。もらった機会を大事に、そろりそろりと、でも傷つくことを恐れずに仕事したいなと思っている。
いいこと2つめは、復帰後に担当させてもらっている導入事例記事が、計3件ほど、まもなく完成することだ。始める前には本当に私に取材・編集・執筆などできるのかと不安でしかたなかったけれど、どうやら、(まだまだ不安は残っているけれど)なんとか、できそうだという感覚をつかめてきた。お客様に直接会ってお話を聞き、我々のサービスを活用して会社を変えようとしている(大変革から小さな変革までさまざまではあるけれど、なんらかの変化が確実に生まれて、それがお客様企業のみなさんの働く環境をよりよくしている)ことを信じることができるというのは、なんて楽しいことなのだろう、と思う。思い切って任せてもらえたことも、伴走して助言を惜しみなくいただいたことも、本当に感謝している。育休復帰後に異動した部署で新しく交流が生まれた仲間にも、異動後もよりいっそう励ましをくれる元同僚や上司のみなさんにも、感謝しきれない。「感謝しきれない」って、ここまでで2回書いている。そんな環境で働けて、やはり幸運に恵まれたのだなと思う。
非常にポジティブなことを語って終わりにするのもなんだか「本当か?」という感じがしているのだけれど、ひとまず今この瞬間には、あまりに恵まれていて空恐ろしいくらいだ、というのが、正直な気持ちだ。
(それと、貴重な土曜日の日中に、私が1人でnote記事を書ける時間をくれて、ありがとう。)
それではまた。
何があるかわからない、明日には泣いているかもしれない世のなかで、こうして笑って別れることができるのはうれしいことですね。