見出し画像

【🍓】念仏衆生摂取不捨

念仏衆生摂取不捨
よみ:ねんぶつしゅじょうしょうしゅふしゃ

こうした仏へのお勤めは、現世の虚しさを満たし、来世の極楽浄土も約束してくれるように思える。それにひきかえ、自分はなんと情けない身をもてあましているのだろうと考え続けている。律師が、じつに尊い声で「念仏衆生摂取不捨」と声を長くのばして唱えているのが心からうらやましくなって、

角田源氏3巻 p153
賢木   

意味:阿弥陀如来は祈る人々を受け入れ、受け止め、誰一人見捨てない。

観無量寿経の一節。

光君の(よく)行く雨林院は天台宗の寺院だが、後に、天台宗で学んだ法然が「南無阿弥陀仏」という念仏を唱えれば救われるという浄土宗を起こす。(1175年)

「誰一人取り残さない」って最近よく聞く表現ですけど、自分は見捨てられている・光があたっていない・打ち捨てられている、という気持ちは平安の昔から通じる感情なのだなぁ、と思うと、しみじみしてしまいますね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?